さて、今回は壷坂の二回目で、その見所や聞き所を数えて見る事にしましょう。前回も少し触れましたが、この作品は、良弁杉と双子の兄弟の様な作品なのです。その理由の一つは、作者と言うか補筆者が、明治の三味線の大名人である団平の奥方の千賀女であり、曲付けが団平自身である事が共通である点が挙げられます。ですから、これ等の作品は明治期の物であり、浄瑠璃としては新作で在ると言えましょう。もう一つの共通点は、明治初期に我が国を覆った所謂“廃仏毀釈”の騒ぎで困難な時代を迎えた仏教が、やや落ち着いたのを機に、失地回復の為の運動の一環として、色々な処で仏様や観音様の有り難さが語られなおす、そんな流れの中で作られたと言う点も同じなのです。つまり、仏教の宣伝用の作品とも言えましょう。大団平は、金比羅様の熱心な信奉者であったと伝えられます。その壷坂の見所・聞き所です。
・ お里のクドキ。この中に良く引かれる“三つ違いの兄さんと”と言う文句が在ります。この言い回しは、文楽や浄瑠璃をご存知無くともお聞きになった事が在るのでは無いかしら。でもその後はと言えば、ご存知の方は少なくなります。続きは“言うて暮らして居る内に、情けなやこなさんは、生まれもつかぬ疱瘡で”と、二人の生い立ちと沢市の眼病の言われを語るのです。このお里のクドキは、沢市の“お前は毎日朝の暗い内から出かけて暫く家を空けるが、どこぞに良い男でも出来たか”との問いに、“何を仰るのですか、私は毎朝壷坂寺に貴方の目が良くなりますようにと、願を掛けてお参りをして居たのです。そもそも私達二人は”とあって、先の“三つ違いの”に続くのです。このくだり、団平の良い節回しが付いて居ります。
・ 地唄・ご詠歌。沢市内の段には、“夢が浮世か、うきよが夢か”と始まります。その後に“鳥の声、鐘の音さえ身に沁みて”と言う文句が出て来ます。両方共地唄の中から引かれて居り、最初が「ままの川」次が「菊の露」と言う題です。二つとも、思いのままにならない廓の恋を嘆いた唄で、沢市の気持ちを表して居ます。曲は夫々元の曲から引かれて居りまして、義太夫節とは若干雰囲気の違うメロディなのです。山の段では、ご詠歌が歌われます“うきがなさけか、なさけがうきか”これも浄瑠璃節から少し離れて耳の気分転換も意味も持たせた使い方になって居ます。浄瑠璃が貪欲に他の音曲を取り入れた実例です。又、浄瑠璃に「菊の露」が出て来るとどうもその人は死ぬ事が多いらしく、そんな運命を暗示する意味合いも在りそうです。曲全体の中にこれ等の部分を活かす工夫が良くなされて居ます。
・ 身投げの気持ち。山の段では、先ず沢市が次いでお里が身投げを致します。この時、沢市の気持ちは“俺の目は治らんだろう、ならば生きて居てはお里の足手まといになるだけ、俺が居なければ彼女も幸せになれる”と、絶望と言うよりは、諦観から身を投げます。これに対してお里の方は“これまで私が一所懸命やって来たのを何と思うのか、それも一人で行くとは何事か”と、堪えていた思いを爆発させ激情に駆られて飛び込みます。ですから、気持ちにこれだけの差がある訳で、曲は良くそれを表し伝えます。大きな聞き所です。
・ 初めてでは無かろう。最後に、観音様に救われる二人ですが、沢市の目も治ります。この時沢市がお里に“これはしたり、初めてお目に掛ります”と言います。直ぐ後に上る朝日に“初めて拝む日の光”と出て来ます。さて、先のお里のクドキの文句ですが、一緒に暮らして居る内に沢市は疱瘡に掛かったと在ります。ですから、ここでお里やおてんとう様に、“初めて”お目にかかると言うのは、論理的で在りません。“久し振りに”と変えるべきだと、昔の浄瑠璃の評論家である杉山其日庵が述べて居りますが、一理あると思われます。