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古典芸能入門

歌舞伎、文楽、落語に能、クラシックコンサートといわれると、なんだか敷居が高いと思っている方もいるでしょう。 でも歌舞伎にしても文楽にしても昔は庶民の娯楽でした。芸が芸能になり芸術になってしまうともはや文化の領域で自分とは関係ない世界のものと思ってしまったら人生の楽しみは半減します。 このコラムは観客歴40年以上という篠原安心院(しのはらあじむ)さんが、独自の視点で作品を楽しむポイントや役者の話、作品の背景からチケットの買い方、劇場の席を選ぶ方法などがわかる古典芸能をすんなり楽しむためのポイントを優しく親切に教えてくれるコラムです。 安心院さんの厳しくかつ軽妙な文章を読めば、いつしかあなたも古典芸能通になれます。お楽しみに!
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Vol.179 古典音楽 「 ベートーヴェン 交響曲第六番 “田園” 」

2011年1月30日(日)

 第九に三回費やしましたので、次ぎに進みましょう。今度は、第六番“田園”の出番です。ベートーヴェンと言いますと、人類にとっての不朽の名曲を書いた“楽聖”であり“大芸術家”である等と、世界史で習いますと、それだけで怖気づいて仕舞いそうです。確かに極めて高踏的な且哲学的な名曲も多く在りますが、「彼も人の子であった」と納得し身近に親しめる曲も在るのです。交響曲の中では、この“田園”がその筆頭に数えられるでしょう。

 

 先ず第一にその“田園”と言う呼び名から、作曲者自身が付けた名前なのです。そしてこの曲は五楽章建てとなって居りますが、その各楽章に夫々短い説明的な言葉が付されており、これ等も彼の言葉なのです。ベートーヴェンは、中年以降耳の病に悩まされましたが、気分転換のためにウィーン近郷のハイリゲンシュタットによく出かけ、野や丘や、森・雑木林、小さな流れ等の中で、大いに慰められた様で、この曲はそんな背景を持って居ます。各楽章を追って見ましょう。

 

・    第一楽章。「田舎に着いた時の愉快な気分の目覚め」と書かれて居ます。伸びやかな民謡風な主題がヴァイオリンで奏でられます。暫く前に、このメロディーに乗せて“森の水車がコットンパーラリコ”と歌ったグループが在ったらしいのですが、残念ながら聞いて居ません。

・    第二楽章。「小川の辺にて」。静かな小川の流れがゆっくりしたリズムの中で描き出されて行きます。素敵な描写音楽と聞く事も出来生ますが、むしろ森の小川の辺で時間を過ごす時の気分や感情の喜びの表現とも聞けます。最後に木管が三種類で、小鳥の声を模してくれますが、極めて印象的に聞えます。

・    第三楽章。「田舎の人々の楽しい集い」。祭でも在るのでしょうか愉快な雰囲気の曲想が早めのテンポの中で奏でられます。中間部にオーボエとファゴットの掛け合いの場面が出て来ます。踊りの輪の中に、若い男女二人が出てきてソロを演じる等と連想を展開しても、作曲者は怒らないと思いますよ。

・    第四楽章。「嵐、雷光と雨」。三楽章から切れ目無く続きます。低弦楽器が嵐の来襲を予告し、雨・風が強まる様子が出て来ます。ティンパニーが実に効果的に使われますし、オーケストラの使い方も見事です。ピッコロの奏でる風の音が耳に残ります。徐々に鎮まり、次ぎへの予感を醸す中、これも切れ目無く終楽章へ突入して行きます。

・    第五楽章。「嵐の後の喜びと感謝」。突然に視界が開ける感じで、終楽章のテーマが鳴ります。牧人の歌の様な、誠に気持ちの良いメロディーが大きく鳴り響きます。聞いて居て本当に心が自然に開いて行く様な気分になって参ります。こうしてこの楽章の高揚を迎え、終曲へと進むのです。

 

自然を愛し、自然の中に身を置く事を楽しんだベートーヴェンが書いたとても肯定的な曲であり、聞き終わって誠に良い気持ちの残る曲なのです。これは、曲が描写音楽的に書かれて居ますが、例えばヴィヴァルディの「四季」とは何処か根本的な差が感じられます。それは、自然の描写と共に、その中での人の感情の動きや感性の喜び等に重点が置かれて居るからでしょう。

実は、この曲は、第五番の「運命」と双子の様に作られて居ます。作品番号も並んで居ますし、三楽章から終楽章迄切れ目無く演奏されるのもそっくりです。こんな処に、ベートーヴェンの多様さが窺えます。

 

演奏は、勿論実演に勝る経験は在りえませんが、録音媒体としては、古い演奏ですが、フルトヴェングラーの盤がお勧めです。特に終楽章の始まりの戦慄的な感動は、特筆ものです。

 

尚、第五交響曲「運命」に関しましては、このコラムの始めの方で既に取り上げて居ります。其方もお読み下さい。それは、2008年5月15日付けのVol68.にあります。

posted by 篠原安心院 at 01:20PM
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Vol178。古典音楽 「 ベートーヴェン 交響曲第九番“合唱” 《三》 」

2011年1月18日(火)

 ベートーヴェンの“合唱”に関わるエピソードの二回目です。

 

○        ベートーヴェン自身が語ったこの曲に関する談話として「最も重要なものは二つ、満天の星と独立個人の健全な道徳である。古典を学べ、ギリシアを読め、『私は人を憎むよりは、人を愛する為に生れた』と言って居るでは無いか」。ここに“喜び”を基点にした人類肯定の人間観が良く窺えます。またこうも言って居ます「この曲を聞いて居る間だけでも日常の煩わしさから逃れられよう。そしてそれが重なれば、ここに謳われて居る事が、他の日常にも影響をして来るだろう。

 

○        ベートーヴェンは人間肯定の賛歌を書きましたが、聞きように依っては“我が陣営”の肯定論とも聞くことが出来ます。勿論作曲者は大不本意でしょうけど。例えば、小国分立の状況にあったドイツを、強国であるプロシアの指導の下で統一を図りつつあったビスマルクは、この曲の持つ力が彼の運動に有効であると考えて、この曲に「ビスマルク交響曲」なる名称を与えたようです。

 

○        エンゲルスは「人民の教育に第九を使おう」と呼びかけます。言われてマルクスはこの曲を重要視する様になったと伝えられます。レーニンは「これより美しいものを知らない、正に奇跡である」と言ったらしいのです。以後ソヴィエト連邦でも度々演奏された様です。

 

○        ワーグナーは、第九を唯一の例外として先人作曲家達の作品を全て否定したといわれます。第九の復活演奏は彼の手で行われたのです。この事実から、ワーグナーの熱狂的な支持者であるヒットラーは、バイロイト音楽祭での第九の演奏を命じます。第一回目の指揮者がR・シュトラウス。以後、ワグナーとベートーヴェンがナチ精神の拠り所とされたのです。1936年のベルリン・オリンピックの記念演奏会の第九の指揮者もシュトラウス、37年のヒットラーの誕生日の演奏会ではフルトヴェングラーが指揮して居ます。

 

○        1920年代の初めに、第一次大戦での戦死者を弔い、不戦を誓い、生存者を勇気付ける第九の演奏会が、ライプチッヒで大晦日に開かれました。ゲバントハウス楽団とA・ニキッシュの指揮と伝えられます。これが、現在の日本に続く年末の第九の嚆矢とされます。我が国では、多くのプロの楽団が夫々に4回から7回位演奏します。これにアマチュアの演奏もふくめると膨大な数に登ります。我が国の若手の指揮者が、海外で、その経歴を羨ましがられるのが、この第九の指揮回数である様です。そういえば、何回か聞きましたヨーロッパでの第九の演奏会は、決まって一回限りの出来事でした。

 

○        1927年作曲者没後100年の年に各地で記念の第九が演奏されます。アメリカではクーリッジ大統領が「真の民主主義者ベートーヴェン」と言い、ソ連では「ベートーヴェンこそ革命家魂を持って居た」と称揚し、フランスでは「正に共和精神の発露が第九」と語ります。勝手と言えば勝手ですが。

 

○        第二次大戦中、最も頻繁に演奏された曲の一つが第九だった様です。枢軸側ではナチの拠り所であり力の源泉として。イタリーのマスカーニは7千人の演奏者に依る演奏をした様です。連合国側も、勇気の出所として、例えばトスカニーニやワルターが度々指揮した記録が残って居ます。ヴァチカンが、ベートーヴェンを「全クリスチャンのモデル(規範)」としたのも、この大戦中の事のようです。

 

○        1952年と59年のオリンピック大会には、東西両ドイツは統一チームを結成し、国歌としてこの曲を使いました。

 

○        ローデシアは、白人優先主義を非難され、一方的にイギリスの植民地状況から独立します(1965年)。スミス首相は、国歌として第九を使います。「百万の白人の友人達よ抱きあえ」とでも歌ったのでしょうか。

 

○        こう見て来ますと、つまりは誰でも歌えるのが第九であるとも言えそうです。1989年のベルリンの壁の崩壊の直後に、バーンスタインは、東西両ドイツからの選抜混成楽団に依る第九の演奏をします。この時、シラーの詩のキーワードである「喜び」と言う言葉を「自由」に変えて歌ったのです。

 

さて、振り返って見ますと、この50年位の我が国の第九の演奏回数は、膨大な数に上るのでしょうが、どうやら政治的とか宗教的とか言うイデオロギーとは無関係な演奏であったのは、誠に以って慶賀すべき事に思えます。

posted by 篠原安心院 at 09:49AM
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Vol.177 古典音楽 「 ベートーヴェン 交響曲第九番”合唱” 《二》 」

2011年1月6日(木)

 第九の語る世界は第四楽章の声楽の歌詞から伺い知る事が出来ます。そこでは、“喜び”を基点とした人類肯定の人間観が極めて雄弁に語られて居ります。ほぼ同世代の哲学者であるカントの知的な努力にあい呼応し、片やフランス革命の理念に賛同する基本的な立場と言えるのでしょう。そしてこれは音楽が言葉を欲するに至る大きな動き(つまりロマン派の音楽へ)の大きな前進を記す事でもあったのです。それだけに、この曲にまつわるエピソードには事欠きません。これから幾つかをご紹介しましょう。

 

○    三楽章と四楽章の間。ここに暫くの休止時間を入れる(現象的には観客が咳をするのを許す)指揮者とそうで無い人とが居ります。SP時代の名演奏と言われたワインガルトナー盤は、態々SPのある面の真ん中に三楽章の終りを持って来て、切れ目無く最終楽章へ進んで居ます。LPの場合には三面構成の事が多く、四楽章は独立して最終面に入って居ましたので、指揮者の意図は直ぐには判らないケースが多かったものです。CDになり、この点は聞こうとすれば聞けるポイントとなって居ます。実演の折、今日はどうかなとチラと思います。

 

○    独唱者達を何処で舞台に入れるか。このポイントは、先ほどの点と複雑に絡みます。一時間を優に超える長い曲の最後の20数分しか出番が無いので、途中から入れる事を考える指揮者が多いのです。そして、これら独唱者達が入って来ますと、自然と拍手が湧きます。無理からぬとは言えそれまでの緊張がやや緩むのも確かです。さて、三楽章と四楽章の間に切れ目を入れない指揮者は、当然の事乍ら、第二楽章の後に入れます。切れ目を置く指揮者は、四楽章の直前に入れる人も居ます。時には、最初から待たせる指揮者も居ります。こんな事からも、その指揮者が曲の構成をどう表そうとしているかを推測するよすがとなります。

 

○    盛り上がりで消えるティンパニー。この点を取り上げて文章に残したのが岩城宏之でした。四楽章の最初の大きな盛り上がりは、「vor Gott」と言う歌詞の処で、合唱も楽隊も全員最強音(ff)で、思いっきり長く叫ぶ処です。でも中でティンパニーのみは、最強音で叩き出すのですが、途中で音を徐々に落として弱音(p)に至るのです。岩城はどうしても納得出来ず、当時の東ベルリンの博物館に行き、作曲者の直筆の原稿を確かめたとの事。そして、第九の初版以来続いたティンパニーのディミヌエンド記号もピアノの指示も、そこには書いて無い事を確かめて、以来彼はここのティンパニーは最強音で突っ切る事にしたとありました。そう演奏するのは、G・セルと彼のみとも書いて居ます。これが気になって手持ちの音源を確かめて見ましたら、確かにフルトヴェングラーに始まりベームもカラヤンもクレンペラーもハイティンクも皆徐々に落として弱音に至って居ます。突っ切って居たのは、NYフィル時代のトスカニーニとコンセルトヘボーを振ったメンゲルベルク位で何れもSPからの復刻版でした。さて、この点最近はと言いますと、どうやら半数位の指揮者が、岩城流の様に思えます。次回お聞きになる時には気にして見て下さい。そう言えば、少し前にティンパニーのみならず楽隊の全員の音をディミヌエンドさせた演奏に出くわしましたが、これは異様に聞えました。

 

○    最後のテンポ。終曲部のテンポは物凄く速いのが普通です。打楽器群に煽られる様に楽隊がどんどんテンポを速めて行きその絶頂で終わるのです。でも、一つだけ例外が在ります。コンセルトヘボーを指揮したメンゲルベルクで、最後の最後に、大ブレーキを掛け(リタルダントさせ)て終わります。これはそのSP復刻のCD以外では聞いた事は在りません。決して珍奇でも悪くも無いのですが。

 

○    大トチリ。もう20年以上前に、ロンドンでバリトンの大チョンボに出くわした事が在ります。四楽章で、嵐の様な早い序奏の後に、チェロとベースが(後でバリトンが歌い出す)叫ぶ様なメロディーを弾きます。何と、そのバリトンはここで低弦楽器と一緒に歌いだしたのです。指揮者は焦って“未だ未だ”と言った仕種をして止めます。楽隊がややガタ付きましたが、何とか立ち直り、数分後の正規の歌い出しの時には、立派に歌ったものです。聞いて居て冷や汗が出ました。

 

次回もこの第九関連の話題を続けようかと思っています。

posted by 篠原安心院 at 09:30AM
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Vol.176 古典音楽 「 ベートーヴェン 交響曲第九番“合唱” 《一》 」

2010年12月25日(土)

  個別の演目のご紹介を、古典音楽の方はバッハとモーツアルトの協奏曲から始めました。古今の名曲を網羅的にカバーする心算も在りませんが(何年掛るか判らない程膨大な事になります)、我々に残された宝物の様な曲を、少しずつこれからも続けます。今回は、ベートーヴェンの交響曲を取り上げて見ましょう。年末でもあり、第九です。

 

 交響曲第九番“合唱”は、長大な曲であります。演奏時間が平均で70分位であると思います。これだけ長い交響曲は、ベートーヴェン以前には在りませんでしたし、彼氏の作品の中でもこれだけです。通称の“合唱”は、曲に合唱が使われて居ますとの解説的な名前でしか在りませんで、多分後世の人が付けたのだと思われますが、世界中この名で通って居ります。曲の構成は通常の四楽章構成で、最後の楽章に四人の独唱と合唱が加わります。どの楽章も素晴らしい曲で在りまして、夫々に聞き応え十分です。

 

○先ず第一楽章。弱音の序奏から盛り上って行って格好の良い第一主題の提示があります。その後に、第二主題が出てきていつものソナタ形式での展開が続きます。構成感の真に確りとした楽章です。これを「現状に対する不満と苛立ち、上手く口に出ないもどかしさ」と言う解説書もあり「激動の時代を暗示し疾風怒涛の感覚を表す」とする解説書もあります。

○第二楽章。早いテンポの楽章となって居ます。ティンパニーの音が極めて効果的に使われて居ます。スケルツォと言うリズムは三拍子なのですが、この楽章は一拍子(夫々が三連音符)に追って聞く事も可能かと思います。解説は「豊麗な曲趣と光輝ある命のリズム」、片や「革命と戦争の狂騒に対する滑稽味を帯びた風刺」と、あります。

○第三楽章。穏やかなゆっくりとした楽章です。二つの主題が提示され、夫々が変奏しながら進みます。途中のホルンのソロと最後近くのラッパのファンファーレが印象を強めます。これには「洗練された気高い詩趣」、「瞑想的な祈りの音楽」と、記されて居ます。

○そして第四楽章。この楽章に声楽が入って来るのは先に述べた通りですが、それは基本的にはシラーと言う詩人の書いた詩が使われます。実はその声楽が入って来るまでに長い序奏とも言うべき管弦楽の部分が演奏されます。最初に不協和音的な響きで早く大きな音の部分が来ます。直ぐチェロとベースが何か叫びを上げる様なメロディーを弾きます。その後、管弦楽と低弦部との対話となり、前の三つの楽章を夫々否定する形が示され、その低弦部が歓喜の歌を示し、これが徐々に大きくなって全体を支配して、突如最初の不協和音的響きのパッセージが大きく鳴り、ここで先の低弦部の叫びのメロディーで独唱のバリトンが入ります「友よこの響きはやめよう」。バリトンは続けて歓喜の歌を独唱し、そのまま合唱が大きく引き取ります、と言う風に続くのです。シラーの詩は、「喜びよ、神々の火花よ、我らは喜びの聖堂に入る。そこで、人類は全て兄弟となり百万の人々が抱きあう」と謳い上げるのです。そして、独唱・重唱・合唱が折り重なり積みあがり、圧倒的な終曲部へと進みます。この部分の解説は、これ等の歌詞に引かれますので、さしたる差は在りませんでした。

 

 実はこの曲程、録音された音源と実演の差が感じられる曲も少ないと思います。ですから、実演でお聞きになるのが第一に重要なのです。それは声楽の持つ生の音の迫力が素晴らしいからであると思います。勿論管弦楽も実演の迫力が大きいのは言う迄も在りません。我が国では、年末になるとこの第九が何十回と演奏される極めて特異な文化を持って居ります。是非、実演でお聞きになられて下さい。

 また、前の三つの楽章に夫々解説からの引用を入れました。同じ曲でも、解説者により随分異なった言い方をすると思われたと思います。つまりは、何か穿った様な解説は、むしろ不要なのかも知れません。お聞きになられて、どうお感じになるかが重要なのです。そして、何回も回を重ねますと、感じ方も変って来ます。それまで聞えなかったものが聞えて来ます。こう言う事を発見して驚く事も大切な事かと思います。

 

 実は、これだけの曲ですので、種々の逸話が在ります、それは次回とします。

posted by 篠原安心院 at 08:54PM
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Vol.175 文楽・歌舞伎  「 近頃河原達引 《三》 」

2010年12月17日(金)

 

 “堀川”の三回目です。この段の見所や聞き所の続きをお話致しましょう。

 

・        段切れに出て来る“猿回し”そのものは、三人遣いの人形では勿論無く、所謂“手人形(ハンドパペット)”を使います。手袋に顔や手を付けて衣装を着せたみたいな人形で、片手に嵌めて使いますね、あれです。この小さな人形を二体、一人で操ります。語りに合わせ、三味線に合わせ、二匹同じ動作をしたり、夫々そっぽを向いたりと、大忙しに見えます。余程タイミングの勘の良い人しか勤まらないと思いますが、実はこの人、出演者のリストには載って来ないのです。誠に可愛いお猿さんの仕種を続けますと、背後の黒衣姿の遣い手を忘れます。先年歌舞伎でこの場を見た折には、このお猿さんを、糸操り(マリオネット)の人形で演じました。あの高い舞台の天井から操るのですから、これは大変な事だと思ったものです。

 

・        この段の口説き(クドキ)は、大変に良く知られて居ます。「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん・・・」と始まりますが、この台詞は、文楽や歌舞伎でこの場を観た経験の無い方でもご存知の向きが多いと思われます。女性主人公が、その時の思いの丈を語り胸の中を語りと言うのがクドキで在りまして、多くの場合に筋の方向の変わり目になります。(男性の場合には、クドキとは言わずに“物語り”と言われる事が多いのです)。このお俊のクドキは、母親と相手の伝兵衛と二人の心の方向を変え、自分の思いである“大事な男に誠をたてて一緒に死にたい”と言う線へ引っ張って行きますので、重要なクドキなのです。歌舞伎では花形女形の見せ場となり、浄瑠璃では真に良い節の付いた語りとなっていまして、正に聞かせ処となって居ります。

 

・        この段の幕開けは、母親が近所の娘に地歌の稽古をする場面でした。この箇所は、大夫も三味線も難しい箇所の様です。つまり、素人が二人で稽古をして居ますから、当然の事乍ら、大夫や三味線方の実力とは大違いな訳です。ですから、上手くやり過ぎると嘘になり、と言って全く下手にすると聞いて居られなくなりますので、この兼ね合いが難しいらしいのです。何気無く過ぎてしまう処ですが、こんな処にも苦労が詰まって居る様です。

 

・        段切れの“猿回し”に掛る前に、もう一人三味線が加わります。彼の事をツレと呼びます。その段切れの少し前に、かなり長く大夫が三味線無しで語る箇所が出て来ます。実はこの間に三味線方は、楽器の主要部品の一つである駒を替えて居るのです。この駒の種類で、出す音の性格が変ります。ですから、お俊のクドキの時の音と違った音で猿回しのくだりを弾く為に替えるのです。ここから段切り迄の10分位は、三味線の出番です。語りが入らないで、二本の三味線の合奏の部分も多くあります。“お猿はめでたや”と、大夫も勿論語りを入れますが、でも三味線が主役でしょう。これが積みあがった処に“良い女房ぢゃに”の憂いに満ちた一言が入りますと、思わず目頭が熱くなるのです。三味線が情を弾くと言う意味が真に腹に響く瞬間でもあるのです。

 

さて、大分堀川猿回しの為にスペースを使いました。この位にして、次に進む事にしましょう。

posted by 篠原安心院 at 08:26AM
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Vol.174 文楽・歌舞伎  「 近頃河原達引 《二》 」

2010年12月10日(金)

 

 人気の“堀川猿回し”の段を中心に、見所や聞き所を幾つかご紹介して見ましょう。

 

・        先ずこの通称“堀川”とか或いは“堀川猿回し”呼ばれる一場に、実は悪人は一人も出てきません。大概は悪人や意地悪が出てきて、話を悲劇の方へ引っ張るのですが、その悪人は前段で成敗されてしまって居ます。実はそれが為、伝兵衛はお尋ね者になってしまい、お俊は御茶屋から実家に帰されては、居るのですが。ですから、この場は登場人物が全員実に善人なのです。その市井の善人が、運命に翻弄されて、夫々が悩み、夫々が良かれと周囲に思いを馳せます。この葛藤を解きほぐすのも又善意である、これが全編を通じての主題となります。

 

・        構成の面で気が付くのは、幕開けが地歌のお稽古の場面です。稽古して居るのは「鳥辺山心中」。最後が、猿回しで猿に演じさせるのが「曽根崎心中」。この皆が知って居る二つの物語を借りて来て使い、この話そのものの行方を暗示する趣向となって居ます。観客は何と無く納得して本編に入って行ける仕組みになっているのです。

 

・        処でもっと具体的な主題は、今申し上げました心中なのですが、その心中も、する二人(お俊と伝兵衛)と言うよりは、むしろ心中される家族の方に、本当の主題があると言うのも注目すべき箇所でしょう。「可愛い我が子を心中に、合点して遣る親心」と言う、母親の言葉が胸に響くのです。

 

・        さて、その母親ですが、この一場の本当の主人公はこの母親とも言えます。我が子可愛さに一途に心中を止めようとします。これに対してお俊は「それでは女の道が立たぬ」と言います。その言葉は、一時の気紛れや酔狂からで無く、人の存在の根底から出た言葉と受け止めたが故に、先の痛切な一言があるのです。これを観客全員に納得させるのが母親の役目である時、この段の主人公は彼女だなとも思うのです。山城少掾は「忠臣蔵六段目の主人公は与市兵衛女房であり、引き窓では母親であると思って語ります」と言って居た様ですが、この段でも同様の事を考えては居なかったかな等考えます。

 

・        お俊の兄の与次郎は、貧しい猿回しを生業にその日暮らしをしながら一所懸命母親に孝行を尽くして居ます。この与次郎の役を、以前は、人の良い慌てものでどこか抜けて居る人物として、半分道化がかった役として上演して居た様です(チャリがかった役と文楽では言います)。そう言う役作りも自然に思えます。ですが、近年は、若干変えまして、“人の良い、情の細やかな、臆病者ではあるが朴訥な働き者”と言う風な役作りになって居ます。戦前の全盛時代に、古靭大夫や栄三の、原本を良く読むと言う努力の結果と思われます。この与次郎の役作りは、文楽のみならず歌舞伎の方でも採用されて居る演出法なのです。

 

 実は 未だ在りますので、次回に続けます。

posted by 篠原安心院 at 01:47PM
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Vol.173 文楽・歌舞伎  「 近頃河原達引 《一》 」

2010年11月27日(土)

 昔から女郎の誠と四角な卵は無いものと相場が決まって居たようですが、浄瑠璃に出て来る遊女達は、どうした事か殆どが誠意に満ちて居ます。この作品も、その誠意が作品を通しての主題となります。

 

 “最近の河原での喧嘩騒動”と言った意味の外題を持つこの作品は、京都は鴨川四条河原での喧嘩・殺人騒動と、聖護院辺りでの心中事件、それに貧しいながら母親に孝行を尽くしてお褒めに預かった猿回しの話、等の実話を元に構想されたものの様です。作者は、資料に依っては不詳としているものも在りますが、為川宗輔・奈河七五三助らの合作と教えてくれるものも在ります。初演は、天明二年(1782)年、江戸の外記座とあります。上方の事件を扱った京都の話ですが、江戸初演と言うのも興味引かれる点と言えます。

 

 さて、その粗筋を、良く上演される形に沿って述べて見ましょう。

①        四条河原の段。大店の井筒屋の跡取り伝兵衛は、祇園の遊女お俊と深い仲で見受けの話も纏まって居た。そこへ、取引先の重要人物である横淵某が横恋慕、悪仲間と語らって伝兵衛から大金は詐取する大事の茶壷は盗むの無法のし放題。あまつさえいっその事殺してしまえと四条河原に呼び出す。堪り兼ねた伝兵衛が逆に返り討ちにするが、同時に自分はお尋ね者になる。祇園の店は、類縁を嫌いお俊を実家に帰す。この後が、いよいよ。

②        堀川猿回しの段。舞台は堀川辺りのお俊の貧しい実家。兄の与次郎は猿回しで貧しいその日暮し、盲目の母は近所の子供に音曲の手ほどき。其処へお俊が戻されて来る、家の二人は“殺人犯”の伝兵衛が乗り込んで来るかも知れないと、疑心暗鬼の右往左往。奥からお俊を呼び出して、伝兵衛へ“絶縁状”を書けと迫ります。お俊は、既に死を覚悟しており、求めに応じて書きます。実は、母は盲目で与次郎は無筆、ですから絶縁状と言って実は二人宛の「書置き」を書くのです。これで伝兵衛が来たらこの手紙を突きつけて帰って貰えると、二人は安心して床に就きます。真夜中、その伝兵衛が尋ねて来ます。与次郎が真っ暗闇の中で慌ててお俊を外に締め出し伝兵衛を家に入れて仕舞います。行灯に火を入れて驚嘆、早速件の“絶縁状”を突きつけます。伝兵衛が読むと書き置き、驚いて家にお俊を入れます。伝兵衛は「気持ちは全く有難いがむしろ生きて俺の菩提を弔って呉れ」と諭します。お俊は「今更それは無いでしょう、そんな事を仰るなら此処で一人で死にます」とカミソリを手にします。このお俊の誠に他の全員が打たれ、夫々に自分勝手を言った事を悟り、伝兵衛は心中の決意をします。母はそれと知った上で二人を送り出します。与次郎は、猿を舞わせて曽根崎のお初徳兵衛の婚礼の場を演出し、せめて二人の門出を賑やかにします。二人は、与次郎の考えた猿回しの姿をして、家を後に出て行きます、後を母と与次郎が見送ります。

 

 以上が、この演目の良く上演される形の粗筋です。実は、この出し物、見処や聞き処が大変に多く在ります。そのお話は次回に回しましょう。

posted by 篠原安心院 at 03:33PM
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Vol.172 古典音楽  「 モーツアルト 協奏交響曲 」

2010年11月20日(土)

 

 モーツアルトには、複数の楽器を独奏楽器とした協奏曲が何曲かあります。今回はこの内、ヴァイオリンとヴィオラを独奏楽器とした曲をご紹介致しましょう。曲の題名が「協奏交響曲」となって居ますが、この言葉から種々考えを巡らせる必要は全く無いと考えて居ます。そんな事、即ち“協奏的”な交響曲なのか或いは“交響曲的”な協奏曲なのか等で、この曲目の解説の記事のスペースの半分を費やす等の“専門家”が沢山居ますが、無駄な事で在ります。要は何より素敵な曲であり、その素敵さに素直に酔う事が、始まりであり全てと思って居ります。

とは言え、この曲に直接関係の在りそうな事項を見てみましょう。この曲は、就職運動を兼ねたパリへの旅行の帰りに、当時の欧州の音楽の一つの指導的な地位を占めて居たマンハイムに寄り、暫く逗留し、その地の有力者や音楽関係者達と親しく交わり、その結果としてマンハイムにしか無かった音楽上の幾つもの美点を早速我が物に取り込んで、曲想も曲の展開も一段と大きくなったといわれる経験の後で、書かれて居ます。作曲したのはどうやら旅行から帰ったザルツブルグに於いての様です。ですから、これまで取り上げましたヴァイオリン協奏曲(これはパリ旅行前のザルツブルグで作られました)や、フルート協奏曲(パリ滞在中に書かれて居ます)に比べると、音楽の語り口も構成そのものもずっと大人びて聞えて来ます。特に、ヴァイオリンと絡むヴィオラの中音域の魅力が特筆物となって居ます。

 

 曲は通例の協奏曲に習い三楽章形式で書かれて居ます。そして、第一楽章は、これもお馴染みのソナタ形式に依って居り、主題が二つ出て来ます。最初に管弦楽が主題を紹介し暫くして、二つの独奏楽器が出て来ますが、この独奏楽器の出まで、弱音から徐々に音が大きくなり独奏を迎える辺りの、クレシェンド(徐々に強くなる)の長い道のりなどが、どうやら当時のマンハイムで流行って居た技巧の様ですが、何そんな事知らなくても、この処は何と無くワクワクしながら聞きます。そして現れた二本の独奏楽器の醸す、短調のメロディーの素敵な事と言ったら言葉が無い位です。楽天的で機嫌の良いばかりなのがモーツアルトなのでは無いのは、百も承知ですが、そんな事をフト思わせる響きを持って居ます。そしてこの気分は、第二楽章に引き継がれ誠に魅力的な展開を見せます。第三楽章は、一転して華やかな明るい曲想となり全曲を締め括ります。

 

 録音は名曲だけに、幾つもある様ですが、先ずは往年のベルリン・フィルとベームの盤をお勧めしたいと思います。独奏は、ブランディスとカッポーネと言う楽団のトップ奏者です。録音は1964年とやや古いのですが、この曲の魅力に正統的に迫るなら、この盤では無いかと思います。

どの曲でも同じですが、この曲も実演で聞きますと、二本の独奏楽器のしなやかでしかも思いのほか迫力のある音が聞こえて来まして、それだけで嬉しくなる、そんな曲でも在ります。

posted by 篠原安心院 at 01:08PM
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Vol.171 古典音楽 「 モーツアルト クラリネット協奏曲 」

2010年11月5日(金)

 もう半世紀にもなりましょうか、未だアメリカの社会が健全で健康な価値観と道徳観に覆われて居た頃、MGMを中心にして多くの楽しい傑作映画が我が国に流れ込みました。そうです、「若草物語」や「仔鹿物語」等々です。この線上に名作の伝記映画「グレン・ミラー物語」が作られました。ストーリーの展開も良く出来て居て、若草物語以来のJ・アリスンのファンであった僕は、ワクワクしながら見たものです。その二匹目の泥鰌を狙って作られたのが「ベニー・グッドマン物語」でした。下町の下層階級の出で、クラリネットを唯一の楽しみ兼出来たら将来の飯の種と夢想しながら育ち、高校を出るやミシシッピー河の外輪観光船上で、ジャズバンドに参加して苦労を重ねる主人公の出世物語でした。そのグッドマンがシカゴの上流社会に認められる切っ掛けが、某金満家の私邸で開かれた音楽会で、モーツアルトのクラリネット協奏曲を立派に吹き通して以来と言う筋になって居ました。ジャズに向いかけて居た僕の趣向をクラシックに引き戻したのも、この場面からかも知れないのです。スウィング・ジャズの中で、突然広がったモーツアルトの音の世界とクラリネットの音色の良さに、痺れる思いで聴いたものです。

 

 このモーツアルトのクラリネット協奏曲は、彼の死の直前に、未完のまま終わってしまった「レクイエム」と平行して書き進められ、こちらは完成した言わば彼の絶筆に近い作品なのです。透明感に溢れそして深みのあるクラリネットの音色を誠に上手に使って書かれて居ます。死の直前の曲と知って聞く僕達は、この曲に悲哀を昇華した美しさとか、深い諦念等を連想しがちです。そう思って聞けば確かにそう聞えると思います。でも、この曲を聞くときにそんな下世話な言葉の世界は不要では無いかとさえ思えて来ます。それ程美しい曲なのであります。純粋無垢な美しさと言っても未だ足りない思いがします。曲は通例の三楽章仕立てでありまして、均整の取れた第一楽章、静かに独奏楽器により始められる第二楽章、華やかな第三楽章となって居ます。

 

 演奏は、1950年代半ばに録音されたウィーン・フィルの首席奏者レオポルド・ウラッハの盤が長く名盤とされて来ました。表現も“古き佳き時代のウィーンの伝統”を継ぐ演奏とされて来ました。特筆したいのは、彼の誠に独特な音色です。彼の後輩達の様にシャープな音とは少し違い、これが木管の音だと思わせる様な穏やかな丸い音なのです。若い世代の演奏家達は、よりシャープな音で現代的な輪郭の曲として演奏します。更に新しくは、やや滑稽なモーツアルトと言った感じの演奏もあります。そういえば、先のグッドマンの演奏も残って居ますが、クラリネットでは普通掛けないビブラートをかなり頻繁に掛けたりして居まして、多少の違和感は否めません。

 

 この曲は、当時正に発展途上であったこの楽器に、ある種の大きな改良が見られ、そしてその楽器を上手く使いこなしたA・シュタットラーと言う名人(モーツアルトの友人でもありました)の出現が、作曲者に書く気にならせた結果とも居えましょう。この協奏曲に二年程先立って書かれたクラリネット五重奏曲も誠に名曲でありまして、是非こちらもお聞きになって下さい。これだけの人気を未だに誇って居ますのを知ったら、二人共大いに喜ぶのであろうと思う次第です。

posted by 篠原安心院 at 09:01AM
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Vol.170 古典音楽 「 モーツアルト フルート協奏曲第二番 」

2010年10月23日(土)

  もう50年近く前になりますが、NHK交響楽団をフランスの指揮者であるジャン・マルティノンが振った事があります。前年の暮に突発した小澤征爾との確執で、ある種の批判の的になりましたし、楽団の中も多分騒ぎになって居たのだと思います。そんな中で言わば名誉回復の為の演奏会をと意気込んだのかも知れません。当夜のプログラムでは、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が極めて瑞々しく鮮やかであったのを覚えて居りますし、第一部の終りで指揮者が恰もフェンシングの選手が相手の選手を目掛けて剣を突き出す様に指揮棒を楽隊に向けて真っ直ぐに突き出して終わったのも覚えて居ます。この演奏会のもう一曲が、本日の話題のモーツアルトのフルート協奏曲第二番であったのです。独奏は、楽団の主席奏者である吉田雅夫でした。定年をかなり残して芸大の教授に転出する同氏のお別れ演奏であったのです。実は僕はこの機嫌の良い曲を実演で聞いたのはこの時が最初でした。

 

 モーツアルトのフルート協奏曲第二番は、物の本に依れば、1778年彼が22歳の時に作曲されたとあります。この時、彼は恋をして居りまして、相手は後年奥方になる人の姉妹であった様です。ですから曲想は自然と「晴れやかで、光輝くばかりに美しい」ものとなって居ます。深刻に人生だの孤独だのと言う観念と仲良い時には空々しく聞えるかも知れませんが、良い事があって気分が高揚して居る時、それこそ恋をして居る折などに聞けば、モーツアルトと一緒に舞い上がる様な感興に囚われるであろう事疑いなし、そんな曲です。実は、フルート協奏曲の第一番も同じ時に書かれた双子の兄弟の様な曲でして、多分C/D等には大概両方一緒に入って居ると推測されますので、序にそちらもお聞きになって下さい。若いモーツアルトの健康な人生観だの率直な自信だのが自然と聞えて来ます。また物の本に帰りますと、この二つの協奏曲は或る人の依頼で彼は書いた様ですが、相手は約束の代金を払わないと言う不平の手紙が残って居ります。長くこの理由は不明とされて来ましたが、遥か後年に至り、同じ曲で基本の調子だけが少し違うオーボエ協奏曲が見つかり、どうもこのフルートの第二番はそのオーボエ用の曲の単なる編曲であった可能性が判明しまして、作曲料不払いの原因はそれでは無いかと思われて居ます。と言う事は、同じ曲のオーボエ版もある訳で、こちらも幾つも録音が在りますので、これも序にお聞き比べをなさって見て下さい。さて、フルート協奏曲の二曲は現れて以来名曲の誉れ高く人気の曲であり続けたのですが、何故か二番の方が一般的な人気は高かったし、これは今も変わって居ないのです。オーボエ協奏曲を聴いても、面白いけどやはりフルートで聞き直したくなります。この第二番にはそんな魅力が詰まっていそうなのです。

 

 さて、その吉田雅夫の演奏ですが、彼の奏法は独特のやや大きなビブラートと極め付きの美音のコントロールにあり、それが良く発揮される第二楽章では、息を詰めて聞いたものです。第三楽章は、指揮者の好みなのか若干早目のテンポで進んだ様な記憶があります。初めてだった事もありますが、未だに良く覚えて居るのは多分演奏も良かったのでしょう。その後何回も聞きましたが、これほど鮮明に覚えて居る演奏は実は在りません。

posted by 篠原安心院 at 04:41PM
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