この作品は、近松門左衛門作で1712年に竹本座にて初演されました。時代物仕立てで全五段の構成となって居ます。作品は、能の「山姥」や古浄瑠璃にあった物語等を上手く取り込んだ作りとなって居ると言う事で、ですから源頼光と彼の配下の四天王を配して作られて居ります。現在ではその中の二段目「岩倉大納言兼冬館」通称「廓噺」の段のみ上演されます。
《それまでのいきさつ》
時の権力者清原高藤の仲間である平正盛の配下に父親を殺された坂田時行と妹糸萩は、夫々に敵討ちに出ます。糸萩が目出度く敵を討ちますが、高藤に狙われこれを源頼光が匿います。それを恨んで高藤は頼光を讒言、頼光は姿を消します。
《廓噺の段》
頼光の許婚沢潟姫は、相手が突然居なくなり憂鬱です。周りの人々が何とか慰めるべく考え、何時も面白い話を三味線を弾きながら語る煙草売りを呼び込みます。この煙草売りは坂田時行の仮の姿なのです。煙草売りが求めに応じて小唄を三味線の弾き語りで唄います。そこへ通り掛かったのが、紙衣姿の八重桐、小唄を聴いて「あの歌は、自分と夫の時行とで作った歌」と不審に思い、屋敷に入り込みます。中の女中共はこれまた気分転換の材料とばかり、「ご自分の身の上話をなさい」と言い付けます。八重桐は、探し求めて居た相手がここに居たのを見つけて、身の上話にかこつけて面白可笑しく目の前の男に当て付けを言います。後で二人になった時、時行は「自分が敵討ちで苦労しているのを知らぬ筈はあるまい」と詰ります。八重桐は、何を言うか、そんな敵はあんたの妹がとっくに討ち果たした、と言います。なら高藤と正盛を討つと逸る時行に八重桐は「相手は権勢の真っ盛り、時間を待て」と諭します。その間、間抜けな役をしていられないとばかり、時行は切腹します。驚く八重桐に「俺はお前の体に入って男の子になる、そして憎い二人を討つ。お前は不思議の力を我が物とすると共に、その男の子を良く育てよ」と言って息絶えます。ここに高藤の命を受けた太田某が姫を奪いに大勢で押し寄せます。不思議の力を得た八重桐が、鬼女になりこれらの兵を取っては投げ千切っては投げと片付けます。そして深山目指して消えて行きます。
《見どころ聞きどころ》
・ 女の長話は、通例は“クドキ”と言われ、しんみりとした場面となりますが、ここでは“しゃべり”となり、早口に言い立てます。中身には本当に沢山の事が詰まって居ます。このしゃべりの芸が聞き処です。
・ 時行は最初は優男で出て来ますが、途中から荒事的な演技となります。この荒事的演技も見どころでしょう。
・ 八重桐も、最初は元気の良い元傾城として登場しますが、段切れでは鬼女となり大活躍します。途中で首(かしら)が変り、ガブと呼ばれる特殊加工した首を遣います。仕掛けを引くと、目を剥き口が大きく裂けた鬼女の首に早替りするのです。このガブの活躍が見ものです。
・ この時に八重桐に宿った子種が後に坂田金時になると言う因縁話となっています。
・ 八重桐は萩野家と言う御茶屋に居た事になって居ますが、これは当時の人気役者の萩野八重桐の名をそのまま頂戴したものと伝えられて居ます。ですから八重桐の登場の時の装束、紙衣を纏った姿は、その役者の“やつし”の芸そのままであった様です。
この一段、まるで御伽噺を聞いて居る様な感じで楽しめます。
今回は、三番の“英雄”の番です。後年(八番を発表した後で第九の作曲の前の時期)「自作の交響曲の中でどれを好むか」と言う友人の問いにベートーヴェンは「エロイカ」と応えたとの逸話があります。彼にとっても意義深い且印象の大きい曲であったと思われますが、理由として大小三つを上げて置きましょう。
先ず第一は、持病の耳の疾患に気が付き且それが深刻化しつつあり、苦悩の中にあった時代の作品であった事でしょうか。弟に宛てて遺書を書いた時期の直ぐ後に作曲されています。遺書と言っても「死ぬ」と言う文面では無く「死の誘惑を乗り越えて何とか生きる」と言った内容と伝えられていますけど。ですから、元々彼の心情であった理想的な考えやそれを実行する為の意思の力とか精神の強さ等と言う事が、彼自身の為にも重要であった頃と言えましょう。
第二は、先輩のモーツアルト(41曲)やハイドン(107曲)に比べると、彼の交響曲の総数は九曲です。誠に少ないのです。これは、社会現象として、貴族や王族のサロン等で“娯楽的”な音楽であった先輩の時代と変り、音楽ホール的な物が出来、そこで言わば“芸術”作品を多くの人々が聞くと言う形に変った事も理由の一つでしょう。別な言い方をしますと、この時代から音楽に“言葉”がどんどん入り込む事になります。簡単に言うと古典楽派の時代からロマン派の時代へ変わって行ったと言う事です。(と言っても、これは社会現象を言ったのであって、モーツアルトの曲は芸術で無いとは言いません、むしろ彼の作品こそ芸術品だと言う方の筆頭に、僕は居る心算でもありますけど)。
もう一つは、時は革命の時代であったと言う事です。フランス革命の年、ベートーヴェンは19歳でした。理想に燃え理念を確りと持ち、未来への希望を熱く胸に置いておける時代に生きて居たのです。貴族階級の出では無かった事もありますが、彼の個人的な憧れの中に革命思想はあった筈です。その確かな具体的な表象としてナポレオンに神経の焦点が合った事は疑いも無い事で、革命の理念の実現者としてのナポレオンを考え乍ら作曲したのでしょう。発表の直前にナポレオンがフランス皇帝になったのを聞いて、怒り且落胆して題名を「ボナパルト」から「エロイカ」に変更したと言う逸話も事実に近いものと考えて宜しいかと思います。
この演奏時間が一時間になりそうな長大な曲は、初演時の観客には必ずしも受けが良くは無かった様ですが、その各楽章について一言づつ述べましょう。
・ 第一楽章。出だしは主和音の強く短い音形が二回現れ、続いてチェロが力強く明瞭な主題を提示します。このメロディーが全曲を通しての有力な手がかりであり続けダイナミックな構成感を醸します。
・ 第二楽章は、葬送行進曲です。沈鬱なリズムに乗ってオーボエ以下が次々と現れ、葬送の雰囲気を高めます。
・ 第三楽章は、スケルツォです。ここでは葬送の気分は拭い去られて、明るいエネルギーに満ちた楽章となって居ます。中間部(トリオ部分)に出て来るホルンの三重奏が印象的に腹に響きます。
・ 第四楽章は、形式的には自由な変奏曲となって居ます。独特なリズムが効果的に使われ、変奏の技巧も冴えて居ます。そしてこれまた彼の他の曲同様に、圧倒的な終曲を迎えます。
大分昔、ミトロプーロフなる指揮者がウィーン・フィルとこの曲を演奏した折、練習の時に指揮者は第一楽章の出だしを、二拍子で振ったらしいのです。実演の時に彼は楽隊に断らずに楽譜通りの四拍子で振り始めた。これを楽隊は練習通りに二拍子で演奏し始め(つまり倍のスピードになったのです)、その瞬間に指揮者も楽隊も気が付いたのですが、止める訳に行かないと言うことで、そのテンポで殆ど全曲を突っ切り、35分で終わったと言う記録が在るそうです。これが出来たと言う事は、楽隊の技術力の高さに驚きますね。
録音媒体は名曲だけに沢山あります。先ずは実演でお聞きになって、C/Dも欲しいとなったら、理想的にはその実演を彷彿とさせる物を探す訳ですが、そんな暇も無いと言うのであれば、何かの縁(指揮者を聞いた事がるとか楽隊を知って居るとか、他の曲で気に入ったものと同じ組み合わせであるとかです)を頼りにお求めになる事では無いかしら。
今回は、交響曲の第七番です。実はこの曲は迫力に富んだ大変な名曲なのですが、それだけに多くの人が種々の印象を残して呉れて居ます。先ずはそのご紹介から始めましょう。
先ずベートーヴェンご自身の言葉としては「自分は人類の為に、甘美な葡萄酒を醸す酒神となり、人の魂に神聖な陶酔を与えるべくこの曲を作った」と語ったらしいのです。ですから人生とか死とか孤独・苦悩と言った形而上学とはやや距離のある曲として構想されたのかも知れません。
ワーグナーはこの曲を「舞踏の神聖化」と呼び高く評価すると共に、リストが編曲したピアノ版に合わせて実際に踊ったとも伝えられます。
フランスの作家ロマン・ローランは、上記の作曲者自身の言葉を敷衍する形で「この曲は全く泥酔者の作である。巨大な哄笑を伴う激情の興奮、惑乱する諧謔の閃き、思いもよらぬ恍惚・悦楽の態、全く酩酊した人の作である」
もう一歩進めてウェーバーは「ベートーヴェンは今や精神病院行きだ」とその印象を語って居るらしいのです。
さて、これだけ揃いますと聞きたくなりませんか。楽章毎に明確に現れるその楽章を特徴付けるリズム、その多様性により上に述べられた様な印象を与える楽曲が展開して行くのです。ですから、興奮を伝えるリズムは、極めて際立って居ます。唯、同時に注目したいのは、この曲は古典的な交響曲、つまりソナタ形式の第一楽章に始まり、ゆっくりした楽章、スケルツオの楽章、そして早い終楽章と、極めて整った形式を踏んで作曲されて居る点です。そういう意味では、彼の交響曲の中で一番“古典的”形式美を持った曲と言えるかも知れません。各楽章に付いて一言ずつご紹介致しますと、
・ 第一楽章 長大な序章がありその後オーボエが印象的なメロディーを奏でます。第一主題は、付点の付いたリズムを背負ってフルートが展開し、以後様々に発展します。
・ 第二楽章 やや沈鬱な感じのテーマが出て来ます。侘しくて厳粛と感じられるかも知れません。この単純なリズムが執拗に繰り返される中、極めて豊な和声が聞えて来ます。
・ 第三楽章 スケルツォの楽章で、早い三拍子の曲です。活気に溢れ弾力に富んだ感じのリズムが、粗野な快活さとか生の歓喜とか言われる曲を彩って進みます。
・ 第四楽章 熱狂的な感じの終曲となって居ます。放歌乱舞・粗暴・野蛮な歓喜・溌剌とした生命の燃焼、そんな風に語られる部分なのです。同じリズムが早いテンポで繰り返される内に高まる熱狂感の中で、圧倒的な終曲を迎えます。
さて、どうやら美酒にご機嫌なベートーヴェンが、その機嫌の良さを我々に分かち与えるべく作ったとも言えるこの曲ですので、これも実演を楽しんで下さるのが一番な事は言うまでも在りません。録音媒体も数多くあります。僕の個人的な思い出は、40年以上前に、コンセルト・ヘボーがヨッフムの指揮で、文化会館で行った演奏が忘れられません。指揮者・演奏者・観客の熱気が、奇跡の様に一点に集中した感じで、素晴らしい名演でした。楽隊が引き上げた後の舞台に指揮者が5回・7回と呼び出されたのも良く覚えて居ます。実演をこまめに聞いて居るとこう言う風な機会に出会う事も在るのです。