第九に三回費やしましたので、次ぎに進みましょう。今度は、第六番“田園”の出番です。ベートーヴェンと言いますと、人類にとっての不朽の名曲を書いた“楽聖”であり“大芸術家”である等と、世界史で習いますと、それだけで怖気づいて仕舞いそうです。確かに極めて高踏的な且哲学的な名曲も多く在りますが、「彼も人の子であった」と納得し身近に親しめる曲も在るのです。交響曲の中では、この“田園”がその筆頭に数えられるでしょう。
先ず第一にその“田園”と言う呼び名から、作曲者自身が付けた名前なのです。そしてこの曲は五楽章建てとなって居りますが、その各楽章に夫々短い説明的な言葉が付されており、これ等も彼の言葉なのです。ベートーヴェンは、中年以降耳の病に悩まされましたが、気分転換のためにウィーン近郷のハイリゲンシュタットによく出かけ、野や丘や、森・雑木林、小さな流れ等の中で、大いに慰められた様で、この曲はそんな背景を持って居ます。各楽章を追って見ましょう。
・ 第一楽章。「田舎に着いた時の愉快な気分の目覚め」と書かれて居ます。伸びやかな民謡風な主題がヴァイオリンで奏でられます。暫く前に、このメロディーに乗せて“森の水車がコットンパーラリコ”と歌ったグループが在ったらしいのですが、残念ながら聞いて居ません。
・ 第二楽章。「小川の辺にて」。静かな小川の流れがゆっくりしたリズムの中で描き出されて行きます。素敵な描写音楽と聞く事も出来生ますが、むしろ森の小川の辺で時間を過ごす時の気分や感情の喜びの表現とも聞けます。最後に木管が三種類で、小鳥の声を模してくれますが、極めて印象的に聞えます。
・ 第三楽章。「田舎の人々の楽しい集い」。祭でも在るのでしょうか愉快な雰囲気の曲想が早めのテンポの中で奏でられます。中間部にオーボエとファゴットの掛け合いの場面が出て来ます。踊りの輪の中に、若い男女二人が出てきてソロを演じる等と連想を展開しても、作曲者は怒らないと思いますよ。
・ 第四楽章。「嵐、雷光と雨」。三楽章から切れ目無く続きます。低弦楽器が嵐の来襲を予告し、雨・風が強まる様子が出て来ます。ティンパニーが実に効果的に使われますし、オーケストラの使い方も見事です。ピッコロの奏でる風の音が耳に残ります。徐々に鎮まり、次ぎへの予感を醸す中、これも切れ目無く終楽章へ突入して行きます。
・ 第五楽章。「嵐の後の喜びと感謝」。突然に視界が開ける感じで、終楽章のテーマが鳴ります。牧人の歌の様な、誠に気持ちの良いメロディーが大きく鳴り響きます。聞いて居て本当に心が自然に開いて行く様な気分になって参ります。こうしてこの楽章の高揚を迎え、終曲へと進むのです。
自然を愛し、自然の中に身を置く事を楽しんだベートーヴェンが書いたとても肯定的な曲であり、聞き終わって誠に良い気持ちの残る曲なのです。これは、曲が描写音楽的に書かれて居ますが、例えばヴィヴァルディの「四季」とは何処か根本的な差が感じられます。それは、自然の描写と共に、その中での人の感情の動きや感性の喜び等に重点が置かれて居るからでしょう。
実は、この曲は、第五番の「運命」と双子の様に作られて居ます。作品番号も並んで居ますし、三楽章から終楽章迄切れ目無く演奏されるのもそっくりです。こんな処に、ベートーヴェンの多様さが窺えます。
演奏は、勿論実演に勝る経験は在りえませんが、録音媒体としては、古い演奏ですが、フルトヴェングラーの盤がお勧めです。特に終楽章の始まりの戦慄的な感動は、特筆ものです。
尚、第五交響曲「運命」に関しましては、このコラムの始めの方で既に取り上げて居ります。其方もお読み下さい。それは、2008年5月15日付けのVol68.にあります。
ベートーヴェンの“合唱”に関わるエピソードの二回目です。
○ ベートーヴェン自身が語ったこの曲に関する談話として「最も重要なものは二つ、満天の星と独立個人の健全な道徳である。古典を学べ、ギリシアを読め、『私は人を憎むよりは、人を愛する為に生れた』と言って居るでは無いか」。ここに“喜び”を基点にした人類肯定の人間観が良く窺えます。またこうも言って居ます「この曲を聞いて居る間だけでも日常の煩わしさから逃れられよう。そしてそれが重なれば、ここに謳われて居る事が、他の日常にも影響をして来るだろう。
○ ベートーヴェンは人間肯定の賛歌を書きましたが、聞きように依っては“我が陣営”の肯定論とも聞くことが出来ます。勿論作曲者は大不本意でしょうけど。例えば、小国分立の状況にあったドイツを、強国であるプロシアの指導の下で統一を図りつつあったビスマルクは、この曲の持つ力が彼の運動に有効であると考えて、この曲に「ビスマルク交響曲」なる名称を与えたようです。
○ エンゲルスは「人民の教育に第九を使おう」と呼びかけます。言われてマルクスはこの曲を重要視する様になったと伝えられます。レーニンは「これより美しいものを知らない、正に奇跡である」と言ったらしいのです。以後ソヴィエト連邦でも度々演奏された様です。
○ ワーグナーは、第九を唯一の例外として先人作曲家達の作品を全て否定したといわれます。第九の復活演奏は彼の手で行われたのです。この事実から、ワーグナーの熱狂的な支持者であるヒットラーは、バイロイト音楽祭での第九の演奏を命じます。第一回目の指揮者がR・シュトラウス。以後、ワグナーとベートーヴェンがナチ精神の拠り所とされたのです。1936年のベルリン・オリンピックの記念演奏会の第九の指揮者もシュトラウス、37年のヒットラーの誕生日の演奏会ではフルトヴェングラーが指揮して居ます。
○ 1920年代の初めに、第一次大戦での戦死者を弔い、不戦を誓い、生存者を勇気付ける第九の演奏会が、ライプチッヒで大晦日に開かれました。ゲバントハウス楽団とA・ニキッシュの指揮と伝えられます。これが、現在の日本に続く年末の第九の嚆矢とされます。我が国では、多くのプロの楽団が夫々に4回から7回位演奏します。これにアマチュアの演奏もふくめると膨大な数に登ります。我が国の若手の指揮者が、海外で、その経歴を羨ましがられるのが、この第九の指揮回数である様です。そういえば、何回か聞きましたヨーロッパでの第九の演奏会は、決まって一回限りの出来事でした。
○ 1927年作曲者没後100年の年に各地で記念の第九が演奏されます。アメリカではクーリッジ大統領が「真の民主主義者ベートーヴェン」と言い、ソ連では「ベートーヴェンこそ革命家魂を持って居た」と称揚し、フランスでは「正に共和精神の発露が第九」と語ります。勝手と言えば勝手ですが。
○ 第二次大戦中、最も頻繁に演奏された曲の一つが第九だった様です。枢軸側ではナチの拠り所であり力の源泉として。イタリーのマスカーニは7千人の演奏者に依る演奏をした様です。連合国側も、勇気の出所として、例えばトスカニーニやワルターが度々指揮した記録が残って居ます。ヴァチカンが、ベートーヴェンを「全クリスチャンのモデル(規範)」としたのも、この大戦中の事のようです。
○ 1952年と59年のオリンピック大会には、東西両ドイツは統一チームを結成し、国歌としてこの曲を使いました。
○ ローデシアは、白人優先主義を非難され、一方的にイギリスの植民地状況から独立します(1965年)。スミス首相は、国歌として第九を使います。「百万の白人の友人達よ抱きあえ」とでも歌ったのでしょうか。
○ こう見て来ますと、つまりは誰でも歌えるのが第九であるとも言えそうです。1989年のベルリンの壁の崩壊の直後に、バーンスタインは、東西両ドイツからの選抜混成楽団に依る第九の演奏をします。この時、シラーの詩のキーワードである「喜び」と言う言葉を「自由」に変えて歌ったのです。
さて、振り返って見ますと、この50年位の我が国の第九の演奏回数は、膨大な数に上るのでしょうが、どうやら政治的とか宗教的とか言うイデオロギーとは無関係な演奏であったのは、誠に以って慶賀すべき事に思えます。
第九の語る世界は第四楽章の声楽の歌詞から伺い知る事が出来ます。そこでは、“喜び”を基点とした人類肯定の人間観が極めて雄弁に語られて居ります。ほぼ同世代の哲学者であるカントの知的な努力にあい呼応し、片やフランス革命の理念に賛同する基本的な立場と言えるのでしょう。そしてこれは音楽が言葉を欲するに至る大きな動き(つまりロマン派の音楽へ)の大きな前進を記す事でもあったのです。それだけに、この曲にまつわるエピソードには事欠きません。これから幾つかをご紹介しましょう。
○ 三楽章と四楽章の間。ここに暫くの休止時間を入れる(現象的には観客が咳をするのを許す)指揮者とそうで無い人とが居ります。SP時代の名演奏と言われたワインガルトナー盤は、態々SPのある面の真ん中に三楽章の終りを持って来て、切れ目無く最終楽章へ進んで居ます。LPの場合には三面構成の事が多く、四楽章は独立して最終面に入って居ましたので、指揮者の意図は直ぐには判らないケースが多かったものです。CDになり、この点は聞こうとすれば聞けるポイントとなって居ます。実演の折、今日はどうかなとチラと思います。
○ 独唱者達を何処で舞台に入れるか。このポイントは、先ほどの点と複雑に絡みます。一時間を優に超える長い曲の最後の20数分しか出番が無いので、途中から入れる事を考える指揮者が多いのです。そして、これら独唱者達が入って来ますと、自然と拍手が湧きます。無理からぬとは言えそれまでの緊張がやや緩むのも確かです。さて、三楽章と四楽章の間に切れ目を入れない指揮者は、当然の事乍ら、第二楽章の後に入れます。切れ目を置く指揮者は、四楽章の直前に入れる人も居ます。時には、最初から待たせる指揮者も居ります。こんな事からも、その指揮者が曲の構成をどう表そうとしているかを推測するよすがとなります。
○ 盛り上がりで消えるティンパニー。この点を取り上げて文章に残したのが岩城宏之でした。四楽章の最初の大きな盛り上がりは、「vor Gott」と言う歌詞の処で、合唱も楽隊も全員最強音(ff)で、思いっきり長く叫ぶ処です。でも中でティンパニーのみは、最強音で叩き出すのですが、途中で音を徐々に落として弱音(p)に至るのです。岩城はどうしても納得出来ず、当時の東ベルリンの博物館に行き、作曲者の直筆の原稿を確かめたとの事。そして、第九の初版以来続いたティンパニーのディミヌエンド記号もピアノの指示も、そこには書いて無い事を確かめて、以来彼はここのティンパニーは最強音で突っ切る事にしたとありました。そう演奏するのは、G・セルと彼のみとも書いて居ます。これが気になって手持ちの音源を確かめて見ましたら、確かにフルトヴェングラーに始まりベームもカラヤンもクレンペラーもハイティンクも皆徐々に落として弱音に至って居ます。突っ切って居たのは、NYフィル時代のトスカニーニとコンセルトヘボーを振ったメンゲルベルク位で何れもSPからの復刻版でした。さて、この点最近はと言いますと、どうやら半数位の指揮者が、岩城流の様に思えます。次回お聞きになる時には気にして見て下さい。そう言えば、少し前にティンパニーのみならず楽隊の全員の音をディミヌエンドさせた演奏に出くわしましたが、これは異様に聞えました。
○ 最後のテンポ。終曲部のテンポは物凄く速いのが普通です。打楽器群に煽られる様に楽隊がどんどんテンポを速めて行きその絶頂で終わるのです。でも、一つだけ例外が在ります。コンセルトヘボーを指揮したメンゲルベルクで、最後の最後に、大ブレーキを掛け(リタルダントさせ)て終わります。これはそのSP復刻のCD以外では聞いた事は在りません。決して珍奇でも悪くも無いのですが。
○ 大トチリ。もう20年以上前に、ロンドンでバリトンの大チョンボに出くわした事が在ります。四楽章で、嵐の様な早い序奏の後に、チェロとベースが(後でバリトンが歌い出す)叫ぶ様なメロディーを弾きます。何と、そのバリトンはここで低弦楽器と一緒に歌いだしたのです。指揮者は焦って“未だ未だ”と言った仕種をして止めます。楽隊がややガタ付きましたが、何とか立ち直り、数分後の正規の歌い出しの時には、立派に歌ったものです。聞いて居て冷や汗が出ました。
次回もこの第九関連の話題を続けようかと思っています。