昔から女郎の誠と四角な卵は無いものと相場が決まって居たようですが、浄瑠璃に出て来る遊女達は、どうした事か殆どが誠意に満ちて居ます。この作品も、その誠意が作品を通しての主題となります。
“最近の河原での喧嘩騒動”と言った意味の外題を持つこの作品は、京都は鴨川四条河原での喧嘩・殺人騒動と、聖護院辺りでの心中事件、それに貧しいながら母親に孝行を尽くしてお褒めに預かった猿回しの話、等の実話を元に構想されたものの様です。作者は、資料に依っては不詳としているものも在りますが、為川宗輔・奈河七五三助らの合作と教えてくれるものも在ります。初演は、天明二年(1782)年、江戸の外記座とあります。上方の事件を扱った京都の話ですが、江戸初演と言うのも興味引かれる点と言えます。
さて、その粗筋を、良く上演される形に沿って述べて見ましょう。
① 四条河原の段。大店の井筒屋の跡取り伝兵衛は、祇園の遊女お俊と深い仲で見受けの話も纏まって居た。そこへ、取引先の重要人物である横淵某が横恋慕、悪仲間と語らって伝兵衛から大金は詐取する大事の茶壷は盗むの無法のし放題。あまつさえいっその事殺してしまえと四条河原に呼び出す。堪り兼ねた伝兵衛が逆に返り討ちにするが、同時に自分はお尋ね者になる。祇園の店は、類縁を嫌いお俊を実家に帰す。この後が、いよいよ。
② 堀川猿回しの段。舞台は堀川辺りのお俊の貧しい実家。兄の与次郎は猿回しで貧しいその日暮し、盲目の母は近所の子供に音曲の手ほどき。其処へお俊が戻されて来る、家の二人は“殺人犯”の伝兵衛が乗り込んで来るかも知れないと、疑心暗鬼の右往左往。奥からお俊を呼び出して、伝兵衛へ“絶縁状”を書けと迫ります。お俊は、既に死を覚悟しており、求めに応じて書きます。実は、母は盲目で与次郎は無筆、ですから絶縁状と言って実は二人宛の「書置き」を書くのです。これで伝兵衛が来たらこの手紙を突きつけて帰って貰えると、二人は安心して床に就きます。真夜中、その伝兵衛が尋ねて来ます。与次郎が真っ暗闇の中で慌ててお俊を外に締め出し伝兵衛を家に入れて仕舞います。行灯に火を入れて驚嘆、早速件の“絶縁状”を突きつけます。伝兵衛が読むと書き置き、驚いて家にお俊を入れます。伝兵衛は「気持ちは全く有難いがむしろ生きて俺の菩提を弔って呉れ」と諭します。お俊は「今更それは無いでしょう、そんな事を仰るなら此処で一人で死にます」とカミソリを手にします。このお俊の誠に他の全員が打たれ、夫々に自分勝手を言った事を悟り、伝兵衛は心中の決意をします。母はそれと知った上で二人を送り出します。与次郎は、猿を舞わせて曽根崎のお初徳兵衛の婚礼の場を演出し、せめて二人の門出を賑やかにします。二人は、与次郎の考えた猿回しの姿をして、家を後に出て行きます、後を母と与次郎が見送ります。
以上が、この演目の良く上演される形の粗筋です。実は、この出し物、見処や聞き処が大変に多く在ります。そのお話は次回に回しましょう。
モーツアルトには、複数の楽器を独奏楽器とした協奏曲が何曲かあります。今回はこの内、ヴァイオリンとヴィオラを独奏楽器とした曲をご紹介致しましょう。曲の題名が「協奏交響曲」となって居ますが、この言葉から種々考えを巡らせる必要は全く無いと考えて居ます。そんな事、即ち“協奏的”な交響曲なのか或いは“交響曲的”な協奏曲なのか等で、この曲目の解説の記事のスペースの半分を費やす等の“専門家”が沢山居ますが、無駄な事で在ります。要は何より素敵な曲であり、その素敵さに素直に酔う事が、始まりであり全てと思って居ります。
とは言え、この曲に直接関係の在りそうな事項を見てみましょう。この曲は、就職運動を兼ねたパリへの旅行の帰りに、当時の欧州の音楽の一つの指導的な地位を占めて居たマンハイムに寄り、暫く逗留し、その地の有力者や音楽関係者達と親しく交わり、その結果としてマンハイムにしか無かった音楽上の幾つもの美点を早速我が物に取り込んで、曲想も曲の展開も一段と大きくなったといわれる経験の後で、書かれて居ます。作曲したのはどうやら旅行から帰ったザルツブルグに於いての様です。ですから、これまで取り上げましたヴァイオリン協奏曲(これはパリ旅行前のザルツブルグで作られました)や、フルート協奏曲(パリ滞在中に書かれて居ます)に比べると、音楽の語り口も構成そのものもずっと大人びて聞えて来ます。特に、ヴァイオリンと絡むヴィオラの中音域の魅力が特筆物となって居ます。
曲は通例の協奏曲に習い三楽章形式で書かれて居ます。そして、第一楽章は、これもお馴染みのソナタ形式に依って居り、主題が二つ出て来ます。最初に管弦楽が主題を紹介し暫くして、二つの独奏楽器が出て来ますが、この独奏楽器の出まで、弱音から徐々に音が大きくなり独奏を迎える辺りの、クレシェンド(徐々に強くなる)の長い道のりなどが、どうやら当時のマンハイムで流行って居た技巧の様ですが、何そんな事知らなくても、この処は何と無くワクワクしながら聞きます。そして現れた二本の独奏楽器の醸す、短調のメロディーの素敵な事と言ったら言葉が無い位です。楽天的で機嫌の良いばかりなのがモーツアルトなのでは無いのは、百も承知ですが、そんな事をフト思わせる響きを持って居ます。そしてこの気分は、第二楽章に引き継がれ誠に魅力的な展開を見せます。第三楽章は、一転して華やかな明るい曲想となり全曲を締め括ります。
録音は名曲だけに、幾つもある様ですが、先ずは往年のベルリン・フィルとベームの盤をお勧めしたいと思います。独奏は、ブランディスとカッポーネと言う楽団のトップ奏者です。録音は1964年とやや古いのですが、この曲の魅力に正統的に迫るなら、この盤では無いかと思います。
どの曲でも同じですが、この曲も実演で聞きますと、二本の独奏楽器のしなやかでしかも思いのほか迫力のある音が聞こえて来まして、それだけで嬉しくなる、そんな曲でも在ります。
もう半世紀にもなりましょうか、未だアメリカの社会が健全で健康な価値観と道徳観に覆われて居た頃、MGMを中心にして多くの楽しい傑作映画が我が国に流れ込みました。そうです、「若草物語」や「仔鹿物語」等々です。この線上に名作の伝記映画「グレン・ミラー物語」が作られました。ストーリーの展開も良く出来て居て、若草物語以来のJ・アリスンのファンであった僕は、ワクワクしながら見たものです。その二匹目の泥鰌を狙って作られたのが「ベニー・グッドマン物語」でした。下町の下層階級の出で、クラリネットを唯一の楽しみ兼出来たら将来の飯の種と夢想しながら育ち、高校を出るやミシシッピー河の外輪観光船上で、ジャズバンドに参加して苦労を重ねる主人公の出世物語でした。そのグッドマンがシカゴの上流社会に認められる切っ掛けが、某金満家の私邸で開かれた音楽会で、モーツアルトのクラリネット協奏曲を立派に吹き通して以来と言う筋になって居ました。ジャズに向いかけて居た僕の趣向をクラシックに引き戻したのも、この場面からかも知れないのです。スウィング・ジャズの中で、突然広がったモーツアルトの音の世界とクラリネットの音色の良さに、痺れる思いで聴いたものです。
このモーツアルトのクラリネット協奏曲は、彼の死の直前に、未完のまま終わってしまった「レクイエム」と平行して書き進められ、こちらは完成した言わば彼の絶筆に近い作品なのです。透明感に溢れそして深みのあるクラリネットの音色を誠に上手に使って書かれて居ます。死の直前の曲と知って聞く僕達は、この曲に悲哀を昇華した美しさとか、深い諦念等を連想しがちです。そう思って聞けば確かにそう聞えると思います。でも、この曲を聞くときにそんな下世話な言葉の世界は不要では無いかとさえ思えて来ます。それ程美しい曲なのであります。純粋無垢な美しさと言っても未だ足りない思いがします。曲は通例の三楽章仕立てでありまして、均整の取れた第一楽章、静かに独奏楽器により始められる第二楽章、華やかな第三楽章となって居ます。
演奏は、1950年代半ばに録音されたウィーン・フィルの首席奏者レオポルド・ウラッハの盤が長く名盤とされて来ました。表現も“古き佳き時代のウィーンの伝統”を継ぐ演奏とされて来ました。特筆したいのは、彼の誠に独特な音色です。彼の後輩達の様にシャープな音とは少し違い、これが木管の音だと思わせる様な穏やかな丸い音なのです。若い世代の演奏家達は、よりシャープな音で現代的な輪郭の曲として演奏します。更に新しくは、やや滑稽なモーツアルトと言った感じの演奏もあります。そういえば、先のグッドマンの演奏も残って居ますが、クラリネットでは普通掛けないビブラートをかなり頻繁に掛けたりして居まして、多少の違和感は否めません。
この曲は、当時正に発展途上であったこの楽器に、ある種の大きな改良が見られ、そしてその楽器を上手く使いこなしたA・シュタットラーと言う名人(モーツアルトの友人でもありました)の出現が、作曲者に書く気にならせた結果とも居えましょう。この協奏曲に二年程先立って書かれたクラリネット五重奏曲も誠に名曲でありまして、是非こちらもお聞きになって下さい。これだけの人気を未だに誇って居ますのを知ったら、二人共大いに喜ぶのであろうと思う次第です。