270年に亘る戦争の無い平和な江戸時代(この時代にこれだけ長く平和であったのは、世界の中で例外的に日本だけであったのです)、その社会を構成していた人々が、心の奥底に持っていた共通の感情は、「悔しさ」では無かったかと、見抜いた知識人が居ります。つまり、社会の縦の構造は、身分制度に依って決められて居りました。それも、例えば下級武士の家は何代経っても同じ下級武士でしか在り得ないと言う風に固まっていたのです。「門閥制度は親の敵である」とは、福沢諭吉の血を吐く様な感懐です。同様に、侍の下に位置した平民達も、同様のくび木に縛られて居ました。ですから、殆ど全ての人々が、「この生れでなかったら」の思いを強く持って居たものと推測されます。又、社会の横の構造を支える仕組みの基本的な考え方は、侍階級でしたら「忠義」でしょうし、平民の間は「義理」であった筈です。それも、中には形式上の忠義や義理にさえ縛り上げられて居たのです。ですから、この方面から光を当てても、出て来る個人的な感情は「悔しさ」であったろうと思われます。
この悔しさの中で生きて居た人達は、どうやってその悔しさを紛らわせていたのか或いは克服して居たのか、甚だ興味のある点です。或る侍は武道の鍛錬の中に忘れようとしたのかも知れません。或る町民は、仏教に縋って居たのかも知れません。でも、中には人形浄瑠璃や歌舞伎に出かけ、演じられる物語の中の誰彼に自分を重ね、同じように悩み、同じように苦しみ、そして主人公達が自らの命を絶つ時に涙を流して芝居に同化する事を以って、悔しさからの(一時的な)脱却を得て居たのかも知れません。ですから、これ等演劇の演目は、殆どが悲劇なのです。二人が目出度く結ばれる話は、吉田屋のお二人位なものなのです。特に、近松が切り開いた世話物と呼ばれる世界、即ち当時の観客に取っての現代劇は、切羽詰った二人の心中で終わるのです。
その近松の世界も、初めの「曽根崎心中」は真っ直ぐに二人の悲劇に迫ります。それだけに悲劇性が純粋で、観て居る観客の情緒からも納得的に展開されますので、未だに大人気の演目として頻繁に取り上げられるのです。尤も、近松以降長く埋もれて居りましたのを掘り出したのは、極く近年の事では在りますが。その、近松の取り上げる世界も、後年の物は、諸方の事情が複雑に絡み合い単純で無い人の世の仕組みを描きながら、その中で心中に至る二人のお話を進めて行きます。主人公の女性も、遊女達であったのが、普通の女性が出て来ます。おさん茂兵衛(昔暦)の話等がそうですし、「宵庚申」の二人は何とちゃんとした夫婦なのに、心中に追い込まれて行くのです。こう言う話に涙を流して、自分の気持ちを浄化する、それがこれ等の世話物への接し方であったのでしょう。ですから、間違えると危険な訳で、大当たりの心中物が出ますと、それに触発された形で、多くの追随の心中が実際に起きまして、政府はその取り扱いに苦慮した局面も記録されて居ます。
私達の感覚の奥底に流れる(若しかすると自分で気が付いていない)情緒の基本の一つは、これら江戸期の人達の持って居たものに通ずるのかも知れません。
個別の演目のご紹介をする前に、浄瑠璃や歌舞伎の作品の作られ方に関する幾つかの注目点に付いて簡単なご説明を致しましょう。
今回は、作品の構想の前提となる「世界」と「趣向」と言う二つの点に付いてです。この「世界と趣向」と言う観点は、人形浄瑠璃よりは歌舞伎の世界で、一段と重要性を以って考えられて居た様です。歌舞伎の世界では毎年11月が年度の初めで、この月の舞台は「今後の一年こう言うメンバーで芝居を展開致します」と言う宣言とも言うべき「顔見せ興行」が打たれました。この時一緒に「本年取り扱う世界は何の世界です」と言うアナウンスも行われました。劇場に専属の狂言作者達はこの宣言通りの出し物を毎年新作したものなのです。何、全てが全くの新作では無くて先行作品のパロディーも含めたものを、職人芸で作り上げたのです。その中に約束事の「暫」を入れるとか「だんまり」の場を出すとか、「曽我の対面」があるとか、これらの工夫を入れ込んだ訳です。ですから、大袈裟に言えば毎年新しい「暫」がでるし「対面」が出たものなのです。
人形浄瑠璃に於きましては、それほど定型化された作劇法が一般であった訳では無さそうですが、初期の浄瑠璃作者の巨人である近松以後何年か経ちますと、此方でも合作が主流となります。つまり一つの作品を何人かで手分けをして書き上げるのです。この合作が主流になった背景の一つには、作劇に割ける時間的余裕が余りなかった事も在りそうです。観客は次々と新しい作品を要求したのです。これに応える為に「構想に何年、執筆に何年」等やっていますと、隣の小屋がさっさと新作を出して仕舞います。これでは駄目なのですね。
さて、その世界とは何を指すかと言えば「時代設定」を意味します。江戸期より前の時代に物語を組み上げた所謂「時代物」の作品は、多くの場合に五段構成となっています。この全五段のお話は、いつの時代の物語であるか、これが「世界」が決める事になります。この時代設定としての「世界」が幾つ位あるかと言えば、藤原の鎌足の時代(大職冠の世界)から、平安前期(御位争いの世界)、前九年・後三年の時代(奥州攻めの世界)等々と幾つも続きます。平氏の時代は「平家物語の世界」となり、ここでは平家物語は叙事詩では無くてむしろ歴史として理解されます。その他では、歌舞伎に多いのが「曽我物語の世界」となりますし、義経・弁慶の時代は「義経記の世界」となりますし、南北朝の動乱の時代は「太平記の世界」です。こうして、江戸時代の直前迄が、世界となりうるのです。江戸期に同時代の事はそのままでは取り上げられませんから、所謂時代物は江戸期以前で終りです。同時代の物語は、お上に関係の無い庶民のお話なら良い訳でこれが世話物な訳です。
さて、世界が決まりました。作劇の基本線は「勧善懲悪」と「義理(忠義)」に決まっています。これをどう結び付けるかが「趣向」となります。例えば狐を登場させようとか、柳の精と人間の交流の模様を描こうとかが趣向な訳です。世界が決まりますと登場人物も自動的に決まり、いつものお目当ての人物が知っているお話を展開してくれるのは安心なのですが、厭きて仕舞いますね。それで新たな「趣向」をどう組み込むかが作者達の腕となるのです。
具体的な例を上げますと、世界は平安前期の道真の話にしよう、これが名作「菅原伝授手習鑑」の発端です。この世界に趣向として、各段に親子の別れを入れよう、もう一つその頃話題となった三つ子の話を入れ込もう、これであの作品の世界と趣向が固まり、三人が手分けをして書き上げるのです。即ち合作です。
赤穂の事件が在りました。何とかこれを取り上げたいのですが、直裁に取り上げると直ちに上演禁止を喰らいます。仕方なくこの事件を「趣向」と位置付けます。そして世界を太平記に借りに行きます。これが名作「仮名手本忠臣蔵」の成り立ちなのです。これで一つ作品が出来ましてそれが大当りとなりますと、物語としても確立します。そうすると、次にはこの「忠臣蔵」が一つの世界として成り立ちます。
江戸末期に歌舞伎作劇に於いてはこの様な「世界」が150からあったと言うはなしです。目の前の演目を観ながら「はて、この作品の世界は何で趣向は何かな」等と思いを廻らすのも楽しい事なのです。