ロマン派を19世紀の末迄と致しましたので、次の時代の区切りは20世紀全体と言う事になります。この百年間は実に多くの事が起きます。先ず前半の50年の間に、二回の世界大戦が起きます。その後には、社会主義の国々と自由主義の国々が、睨めっこをする冷戦の時代が続き、最後にソ連が体制を大転換して、冷戦が終了します。アメリカの学者の中には、これで歴史は終わったとの宣言を早々と出す人が現れたりしたのが、20世紀でした。この間、強国を支配した政治・国際関係の基本は、力に依る帝国主義的な運営に在りました。何世紀にも亘って過酷な運命に弄ばされた小国やその民族達の間には、民族自決の動きが出掛かります。でも、力の帝国主義には抗すべくも無く潰され、むしろこの世紀は世界各地に植民地化の波が押し寄せます。第二次大戦の後、この植民地の多くは開放され、20世紀の終りに冷戦が終了すると、それまで東側に属して居た諸国で体制の大転換が起きます。この政治や国際関係を映して、社会も幾つもの試みだの挫折だのを経験します。音楽に於いても、これ等の動きと全く別の世界に終始した訳では毛頭無いとでも言って居るかの様な展開を見せるのです。多くの音楽家が、多様な情念と価値観に裏打ちされた音楽を書きます。そんな中から、現在の音楽界に於いて重要さと人気を保って居る人達を見て見ましょう。
・ フォーレ(1845~1924)フランスの近代音楽の祖と言うべき人で、古典の形式を守りながら、フランス風の情緒を盛り込みました。ヴァイオリン・ソナタやレクイエムは、度々取り上げられる名曲です。
・ ドビュッシー(1862~1918)絵画に於ける印象派の運動を音楽で展開した人です。今聞きますと誠に瀟洒で洒落たセンスの音楽ですが、書かれた当時は、響きの中のエロティシズムや管弦楽法の斬新さから非難も多かった様です。「牧神の午後」だの「海」だのの管弦楽曲や多くのピアノ曲は、現在の音楽家にとって極めて重要なレパートリーとなって居ます。
・ R・シュトラウス(1964~1949)ワーグナー流の管弦楽法をマスターし、世紀末の雰囲気を十分に生きた作曲家で、種々のエピソードを知りますと多分作曲に苦しまなかった職人芸的な腕すら持っていたようです。「ドン・ファン」を始めとする数多くの管弦楽曲や「薔薇の騎士」以下の多くのオペラが無かったら、今のオペラ場も管弦楽団も成り立たないでしょう。そして驚くべきは84歳の時に「四つの最後の歌」と言う名品を残す創作力です。
・ シベリウス(1865~1957)長年ロシアの身勝手な強制に苦しんだフィンランドの作曲家で、その作曲の主要な動機は、愛国心であったかの様です。交響詩「フィンランディア」はその愛国心を鼓舞する賛歌ですが、僕達が聞いても感動的です。交響曲が7曲(内2番が一番好まれます)、北欧の神話等に素材を求めた組曲の幾つか、どれも魅力的ですし、そしてヴァイオリン協奏曲は“大”の付く名曲です。
・ ラフマニノフ(1873~1943)ロシア生まれの大ピアニスト兼作曲家でした。ロシア革命以後はアメリカで活躍します。ピアノ協奏曲の第二番は人気の高い曲ですし、交響曲第二番は、我々日本人には特に親しみ易い名曲です。
・ ラヴェル(1875~1937)ドビュッシーと並ぶフランス近代音楽の巨峰ですが、例えばピアノの小品を聴き比べますと趣味の差と言うかそれよりやや本質的な差が感じられます。こんな処が音楽を聴く楽しみに繋がります。組曲「ダフニスとクローエ」「マ・メール・ロア」等大変に魅力的です。舞曲「ボレロ」は、単純なリズムとメロディーの繰り返しに過ぎませんが、上手な演奏に会うと必ず酔わされて仕舞います。
・ バルトーク(1881~1945)ハンガリー生まれの作曲家。ハンガリーやルーマニア・スロバキア等の地方の民謡を膨大に収集して発想の基盤にした様です。作る音楽は、近代性の中に哀愁とでも言うべき情緒が蓄えられて居り、魅力的です。管弦楽曲「弦楽器と打楽器・チェレスタの為の音楽」だの「管弦楽の為の協奏曲」だの良く取り上げられます。弦楽四重奏曲もピアノ協奏曲も魅力に溢れて居ます。
・ ストラヴィンスキー(1882~1971)ロシア生まれの作曲家ですが、活躍はパリとアメリカでした。始めは、チャイコフスキーが苦労して芸術性を高めたバレー音楽に新風を吹き込む形で現れます。「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」は、何れもパリでディアギレフのロシア・バレー団に依り初演され、賛否両方の大旋風を巻き起こすのです。実に素敵な曲ですのにね。
・ ショスタコヴィッチ(1906~1975)取り上げた中では、彼が始めての20世紀生まれの作曲家です。R・シュトラウスと同様に作曲に苦労の無かった天才の様です。音楽学校の卒業作品(交響曲第一番)は、翌年レニングラード・フィルに依り初演され、その翌年にはベルリンでワルターの指揮で取り上げられると言った具合です。非常に多くの作品を残して呉れて居ますが、音楽と同じ位面白いのが「ショスタコヴィッチの証言」と言うインタビュー記録です。一読をお勧めします。
さて、実はもっともっと多くの人に触れないと失礼になりますが、音楽史ばかり見て居る訳にも行きませんので、この位にして、後は必要に応じて、個別の話題毎に埋め込む事にします。
ヨーロッパの19世紀は、実に種々の動きが政治・社会に起きた時代で在りました。一つには、産業革命と資本主義の発展に伴い、所謂市民階級が経済力を支点に力を持ち始めます。日本でも、江戸や大阪の町人が経済力を握り、当時の文化を支えたのですが、決して日本だけの出来事では無かったのです。政治面で言えば、一面では絶対王政とそれに伴い貴族社会が崩されます。他方、各地方に分立して居る小国を、同じ民族であるとの意識から大きく纏めようとする動きが出ます。ドイツやイタリーに特徴的です。これらの民族国家創出の動きは、その中心点をもう一度王制に求め、立憲君主国的なものを目指します。つまり王制が、ここで再生される国も出て来る訳です。こうして新たに出現した国民国家達は、その成り立ちの経緯から当然の進展として、より大きく強い国家を目指します。この動きを一口で言うと帝国主義的な発想とか運動とか言えるでしょう。民族としてさして大きな規模に至って居なかった小国達は、絶対王政からの独立を獲得しようとしていて、今度は列強の帝国主義の犠牲を強いられ始める、そんな国も出ます。我が国もやや遅れて、小国分立から中央集権的な国家を創り、福沢(諭吉)に言わせれば“幕末以前700年、この国は天皇を知らなかった”となるその天皇を、社会・歴史の先端に据えての国家建設をして、世紀末には早くもミニ帝国主義的動きをし始めるのは、決して我が国独特の出来事では無くて、むしろこの時代の本流の動きの極東版であったとも言えるでしょう。
こう言う風に複雑な経緯を重層的に醸したヨーロッパの19世紀に、ロマン派の音楽は生れていたのです。ロマン派の音楽が、個性と独創性を頼りに「情緒の中に真実を見つめよう」とする時、上に述べた社会・政治的な出来事は、各音楽家にとって、実に格好の“真実を吐露する”真実を提供する事になります。従い、これまでとは違って、実に様々な音楽が生れます。前二回に漏れました人たちに光を当てて見ますと。
・ ロッシーニ(1792~1868)イタリーの作曲家で、伝統的にイタリーの主たる音楽である歌劇を中心に作曲をしました。書いたオペラは36曲になるそうですが、出世作である「セヴィリアの理髪師」は、今でもオペラ劇場の重要な演目となって居ます。
・ ヴェルディ(1813~1901)これもイタリーのオペラ作曲家でありまして、極めて多作の人でしたが、現在何処のオペラ劇場も彼の作品無しでは経営が出来ない程の影響力を持って居ます。勿論それだけ名作揃いであると言う事なのです。イタリーの統一運動に、オペラを通してエネルギーを送り続けた人で、その作品は一義的にはイタリー人と鼓舞する為に書かれたのでは無いかと思います。「椿姫」「リゴレット」「アイーダ」等が多くの人気曲が在りますが、「レクイエム」も名作です。
・ プッチーニ(1858~1924)イタリーのオペラ作曲家をもう一人挙げるとすればこの人です。ヴェルディがイタリー統一に血道を挙げたとすれば、この人は世紀末の雰囲気を吸収した人とも言えますか。プッチーニ節と言いたくなる独特の甘く切なく美しいメロディーに恵まれた人で、「トスカ」「ボエーム」「蝶々夫人」等、全く衰えない人気曲を書いた人です。
・ ロシア五人組 19世紀のヨーロッパの動きに全く遅れたのがロシアでして、絶対王政・帝政のまま、それが正に崩れようとして居る時代に、国民意識に人々を、音楽を通じて目覚めさせようとした人たちの事を指します。この動きの精神的な支柱を作ったのがグリンカ(1804~1857)です。「展覧会の絵」「歌劇ボリス・ゴドノフ」「禿げ山の一夜」等で記憶されるムソルグスキー(1839~1881)。先端を行く管弦楽法をマスターしたリムスキー・コルサコフ(1844~1908)等々、音楽会でお馴染みの人達でもあります。
・ チャイコフスキー(1840~1893)それまで二流の音楽と見做されて来たバレー音楽の地位を高めた人で、かれの三大バレー曲「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「胡桃割り人形」は、バレーの古典として頻繁に取り上げられます。6曲の交響曲。ピアノやヴァイオリンの為の協奏曲、等々、素朴なロシア的叙情に溢れ、それを品良く音楽にして居りますので、我が国でも一・二を争う人気の作曲家です。
・ ドボルザーク(1841~1907)オーストリー王国に属して居てこの時代に独立運動が盛んだったチェコの人。天性のメロディストで在りまして、美しいメロディーを書くのに(多分)苦労の無かった人でしょう。「新世界」「弦楽四重奏曲アメリカ」等でお分かりの通り、アメリカ生活も経験した人です。
・ グリーク(1843~1907)ノルウェーの作曲家、この人の主たる興味も民族意識の高揚にあった様です。「ペール・ギュント」はその代表作で、種々のアレンジで聞けます。ピアノ協奏曲が名品でして、これから判る通りピアノの名手であったのです。ピアノの小品を山の様に残して居りますが、大変に魅力溢れていますし、ショパンとは肌合いが違うのが直ぐに判ります。
・ J・シュトラウス(1825~1899)ウィーンの“ワルツ王”です。このコラムの書き出しの頃に、何から聞くかと言うテーマでウィーンのワルツを取り上げましたので、詳しくは書きませんが時代はこの辺りに出て来る人です。毎年元旦の新年コンサートが国民的イヴェントに今でもなって居る人です。
まだまだ沢山の人が居りますが、他の話題の折や個別曲の紹介の時にでも触れましょう。
今回は、二人のピアノの名人から話を始めましょう。古典派の時代に大いに進展したこの楽器の進化は、19世紀になっても進み、それと共に弾く技術の開発も進み、大変に大きな表現力を持つようになります。そのピアノの名人として現れたのです。二人共、どちらかと言えば周辺の国の出身で在りました。
・ ショパン(1810~1849) “ピアノの詩人”と呼ばれるポーランド出身の作曲家です。祖国が政治的に辛い目に遭うのをパリから眺め、その思いをピアノ曲に託したのです。ワルツから始まりノクターン・マズルカ等と呼ばれている曲は、わが国にも多くの愛好家が居ります。
・ リスト(1811~1886)此方はハンガリーの出身です。活躍したのはドイツやオーストリーでした。極めて技巧的に優れた演奏者であったようで、多くのピアノ曲は演奏が難しいとされています。又、管弦楽も得意で“交響詩”なるジャンルは彼の作ったものです。数多くの先人の管弦楽をピアノ曲に編曲した事でも知られています。ラ・カンパネラは魅力的な小品です。
さて、19世紀は、ナポレオンの影響による市民革命的な動きの反動と、国民意識を大きく取り込んだ運動が政治力となった結果、帝国主義的な動きと早くもそれを壊そうとする動きとが、激しくぶつかる時代となります。この間、産業革命は夫々の国で夫々のスピードで進展し、経済そのもののパイも大きくなります。ドイツやイタリーでは“祖国統一”の動きが出ます。フランスでは、何回も革命を繰り返しながら近代化を模索します。その様な中で、音楽はいよいよ「言葉」が重要な要素として入り込みます。一世代前のモーツアルトも「何でも音で表せる」人だったでしょう。でも彼の表したものは、純粋に結晶化された“悲しみ”或いは“喜び”みたいなものと言えるかも知れません。これに比して、後期のロマン派の人の持った表現力は、もっと散文的です。例えばニーチェに言わせれば「彼(ワーグナー)は、何でも音に出来る、例えば“捨てられた若い妊婦の不安げなオドオドした眼差し”みたいなものでも」となりますし、R・シュトラウスはもっと端的に「僕は何でも音で表現出来る、例えば“茶匙”でも」と豪語するに至ります。音楽が言葉で思想や哲学を語り始めてから芸術になったとの意見もありますが、どんなものでしょう。兎に角、極めて多弁な音楽が出現するのです。その後期ロマン派の人たちの一部を見て見ましょう。
・ ブラームス(1833~1897)彼は形式的には古典派の形式を守りながら、ロマン派の言葉をその中に盛り込んだ作曲家です。交響曲(4曲)やピアノ・ヴァイオリン等の為の協奏曲、数多くの室内楽等に名曲を沢山残して居ります。ベートーヴェンを正当に継いだ音楽家と言え、彼の作品は今の演奏会の主たる柱の一つになって居ます。
・ ワーグナー(1813~1983)歌劇を主たる分野にした人で、彼は“ライトモティーフ”なるものを導入します。何、たいした事は無いので、ある登場人物だの情景だのに特定の短いメロディーを付け、このメロディーを使ったり、調子(ハ長調等)を変えたり、他のメロディーと組み合わせたり、そんな風にして“言葉”を音に定着させたのです。長大な作品が多いのですが、「ニーベルングの指環」は代表作で、傑作です。ワグネリアンと言われる熱烈なファンを産んでいます。
・ ブルックナー(1824~1896)教会のオルガン奏者をして居た経験もあり、その曲想は宗教的であり且神秘的とも言えます。ウィーンの音楽大学の先生をしながら主として交響曲を作曲します。形式は古典的と言えますが、管弦楽法や語法はワグナー風です。彼の曲は、中々世の中に認められず苦労をしますが、今や管弦楽団の“オハコ”の一つとなって居り、一般的には4・7番がポピュラーですが、3・5・8・9番等、名曲揃いです。
・ マーラー(1860~1911)ブクックナーを継ぐ形で(曲風は大いに異なります)、一応形式は古典に見えますが、語法は後期ロマン派の作曲家です。「世紀末」と呼ばれた19世紀後半から20世紀に掛けての人で、“悲哀”・“絶望”等の基本認識を長大な曲に書きました。交響曲の第一番が一番の人気曲ですが、声楽の入る2・3・4・8番(特に8番は千人交響曲と呼ばれます)、入らない5・6・7・9番等どれも名曲です。声楽曲にも大掛かりな名品が揃って居ます。
さて、大分長くなりましたので、次回は“落穂拾い”を致しましょう。