19世紀のウィーンで人気を独り占めにした音楽家が、ヨハン・シュトラウスです。彼の肖像画等は幾つもありますが、中で良く目にするのが彼の楽隊と演奏している姿のものでしょう。中央に一人立ち上がってヴァイオリンを演奏して居る図でして、周りの楽員達も一緒に演奏しています。この図は、言って見れば指揮者とコンマスの役割が未だ渾然としていた時代の名残を感じさせるのです。シュトラウスは自分で弾くヴァイオリンの音で、曲の全体像を示しつつ、同時に各瞬間のニュアンスを伝え、自作のワルツやポルカを演奏したのであろうと推測されます。
この有名な絵柄は、100年程後になって、同じウィーンで、例のニューイヤー・コンサートの指揮をしていたクレメンス・クラウスが他界した折、さて後任の指揮者を誰にするかと言う時に思い出されまして、時のコンサート・マスターであったウィリー・ボスコフスキーが、ヴァイオリン片手に指揮台に立つ事になるのに繋がります。また、40年以上前のN響の定期公演で、このボスコフスキーが指揮をし、ウィーン・フィルから参加していたヒューブナーがコンマスを勤めたウィンナ・ワルツ集の演奏会で、絶妙な効果を発揮した事等は、本欄Vol.66 「ウィンナ・ワルツ」の処で既にご紹介済みです。
さて前回に書きました通り、コンサート・マスターは、唯単に第一ヴァイオリンのトップ奏者であるばかりで無く、もっと指揮者に近く、演奏する曲全体の仕上がりや出来具合に責任を指揮者と共有するある種重い役割であると言う事になります。逆に言いますと多分指揮者の方にも、コンマスの好みが在りそうに思えます。オーケストラの中には、常任指揮者や音楽監督を置かずに原則的に客演指揮者で演奏会を開く処もあります。ウィーン・フィルがこの典型でしょう。又、常任や監督を置きますがその任期は高々数年で次々に変わり、楽団の経営自体には当然には参画しないケースも在ります。N響等がこの部類に入ると思われます。これらのオーケストラの場合には、コンサート・マスターはオーケストラが用意した人に頼る訳です。それ以外に、特定の指揮者が長い年月を常任や音楽監督を務め、ある場合には楽員の人事にも口を挟む様な場合もあります。カラヤンとベルリン・フィルとかアンセルメとスイスロマンドとか、このケースも幾つも在ります。この最後のケースですと、個性豊かでカリスマ性のある指揮者は、好みのコンサート・マスターに固執する事もあります。今や伝説となって居るお話ですが、カラヤンとベルリンの組み合わせの調子が乗ってきた60年代後半から70年代に掛けての録音には、態々コンサート・マスターはミシェル・シュヴァルベと明記のあるものが沢山残っております。このシュヴァルベは、スイスロマンド楽団のコンマスをして居た折に、カラヤンと共演して痛く気に居られ年月を掛けて移籍の手続きをして、ベルリンに呼んだと記憶しております。シュヴァルベ自身は、独奏者としての活躍もしたかったらしく、彼がコンマスの席に座るのは、カラヤンとベームが棒を振る時だけと言った伝説が伝わったものです。でも考えて見れば指揮者に取っては当然の事であるとも言えましょう。何しろ、彼の分身となって実際に音を出してオケを引っ張り纏めて呉れるのはコンマスですから、あ・うんの呼吸で意思が通ずる事とか、その伝わった内容に相互に齟齬が無い事とか、そんな事が極めて重要な点になってくるのは、客席の素人でも判りますよね。
さて、今日のコンマスは誰かなと言うのも、始まる前の楽しみの一つなのです。
オーケストラのコンサートに行きます。開演時間になりますと、舞台の両袖から楽員がバラバラと入って来ます。大概は自分の楽器を持って来ますので、あの人はフルートだとかヴィオラだとかが判ります。中には手ぶらで出て来る人も居ます。大型の楽器、コントラ・バスやコントラ・ファゴット、ハープ或いは打楽器の面々です。一応自分の席に付いて勝手に少し音を出して見たりしています。その内、第一ヴァイオリンの最前列・客席側の人がフッと立ち上がります。一瞬全員が静まりますと、立った人の僅かな合図で、やおらオーボエが中央ラの音を出します。この音に先ず管楽器群が自分の楽器の音を合わせます。それが済みますと、今一度オーボエが同じ音を出します、この音をさっきの立った人が自分の楽器に受けて、その音と未だ鳴って居るオーボエの音に今度は弦楽器群が音を合わせます。このちょいとした儀式が終わりますと、立ってた人も席に付き、指揮者の出を待ちます。
この音合わせの作法は、楽団に依り違いが見られ、先ず弦が合わせる楽団もありますし、一度に全ての楽器が音を合わせてしまう事もあります。また、先ほど立った人ですが、楽団員と一緒に出て来るケースもありますし、一度全ての人が席に付き終わってから、一人で重々しく登場し、観客の拍手に一礼してそのまま調音の手続きに入るケースもあります。こうなりますとどうやらあの人は偉い人らしいなと思います。そうです、この人が今回のテーマである、コンサート・マスターなのです。
男女同権の思想の然らしめる処でしょうか、マスターと言う語には男性である事が強く感じられるので、このコンサート・マスターが女性の場合には、コンサート・ミストレルと呼ぶ国もあるそうです。英語が母国語で無いので我々は何と無くどちらでも良さそうに思えます。そう言えば英国ではコンサート・マスターとは呼ばずリーダーと言うのが一般です。そして通例の場合、後で一人重々しく登場なさるケースが多いのです。ですから英国では、コンサートのチラシ等には、曲目と指揮者とこのリーダーの名前が入って居るのが普通です。我が国では我が国独特の言語文化の齎す結果として、略してコンマスと言うのが、むしろ通例かも知れません。無理してこれをコンミスと言うのも妙かも知れませんね。
さて、楽団員の並び方ですが、大体の位置は決まっています。でも、ヴァイオリンやヴィオラ等、同じセクションに多くの人が居る場合には、どう並ぶのかなと思います。と言うのも、三階の席辺りから見下ろしますと、必ずしも一直線に並んで居なそうに見えるからです。例えば外側に二人ずつ並んで居る弦の奏者が、キチッと列を作ったら、後ろの人は前の人の背中しか見えませんね。ですから視界の何処かに指揮者が入る様に工夫がなされるのだと思って居ました。オケのメンバーの友人とこの話をして居ましたら、その通りなのだが、実はより重要なのは、コンマスが見える事なのだと言うのです。どうやらあの人は調音のリードだけをする人では無さそうです。
指揮者の処で書きましたが、偉そうに前で一人で踊って居ても彼は音を出しません。早くとか遅くとかは、身振りでリズムを刻めますが、強くとか弱くとかは音を出さないと示せません。その役がコンマスの役目なのです。即ち指揮者の意向を十分に忖度して、実際に“こうなのだ”と例示するのが、コンマスの役目なのですね。ですから出す音で実際の曲をマネージして居るとも言えそうです。指揮者も時には間違います。練習と違った指揮を始める事が在るのです。何、繰り返しをやるとかしないとかの約束事ですが、勘違いすると、結果間違いとなります。この時、オケの面々が指揮者を見てますと、混乱に拍車が掛かって仕舞います。そんな時は、全員がコンマスを注目します。コンマスに従って展開を続け、指揮者が追い付くのを待つ訳です。
こうして見て来ますととても重いお役目であると判ります。重々しくお一人でご登場になるのもむべなるかなと言った処です。
諸芸能にとって地方巡業は、役者に取っては骨も折れるし面倒な事ではあるが、あれはあれで重要な意味を持つ出来事の様である。なにしろ実演で楽しむのが一番と誰もが仰るけど、そんな機会にホイホイと乗れない人が大多数な訳で、日頃はTVの画面等でその芸能に対する興味と憧れを満たして居る人々にとっては、掛け替えの無い機会なのであろう。演者に取って見ても、二千人も入る大劇場に比べればずっと観客が身近に居る小ぶりな小屋で、幾つも制約条件の重なる中での上演となると、工夫も必要だろうし、何時もとは異なった視線が集中する感激もある事と思われる。彼らの芸談を聞いたり読んだりしていると、「巡業でかくかくの条件の下での工夫が最初だが、その後本舞台でも演り始めたのです」と言った事柄が数多く出て来る。さて、この巡業であるが、本来的には常打館のある都会から離れた処を廻ると思って居たし事実その通りなのだが、時に東京の周辺で打つ事がある。この処、何回か文楽や歌舞伎の地方巡業で、我が家から出張りうる距離の会場に出かけて、何時もと多少違った雰囲気を楽しんで居る。
さて、そんな折の事、場内のアナウンスが、筋書(プログラム)の案内をしつつ、「“マクマ”の休憩時間の折、是非お買い上げ下さい」と、言ったのだ。僕は「アレ、未だ“マクマ”と言って居る」と、やや驚いた。“マクマ”とは、幕間の事であろうし“まくあい”と呼ぶのは、ワードの文字転換に慣れた人は、既にお馴染みであるとも思われるのだが。他の芸能業界では「まくま」と呼び習わすのが慣習となって居る処もあると聞いた事もある。歌舞伎座でも以前は食事の予約をする時等に、「“マクマ”は、12時25分からです」等言われた記憶もある(流石に場内アナウンスでは言わなかった)。先日「唯今の“まくあい”は30分です」とのアナウンスに、近くの人が「何で歌舞伎だけ“あいだ”と言う字を“あい”と読ませるのでしょうね」と不服そうな声を出して居たがそうでもあるまい。
「坂は照る照る鈴鹿は曇る、“あい”の土山雨が降る」のは、鈴鹿の馬子唄であるが、この“あい”も“間”であるに違い無い。地理に疎く位置関係が判然としないが、唄の文句からそれは自ずから明らかであると思っている。
能には、シテが前半と後半で変わる事が多く、この間の場面転換や演者の衣装の着替え等の時間を繋ぐべく狂言が挟まるのが普通であるが、この狂言の事を「アイ狂言」と呼ぶのも同じ使い方であろう。
「山間」は、“やまあい”と読めば「山と山との間」を意味し、“さんかん”と読めば“やまあい”の地域と言う意味になりそうである。
唄に入る「あいのて」も、「間の手」なら、一節終わった後にその次へ繋げる手であろうし、「合の手」なら、唄と一緒に入れる手を意味しそうである。
「幕間に直す化粧や春の宵」は誰の句であったか、これも“まくま”では、字足らずとなり風情もだいなしになりで、真に“ま”の悪い事になると思うのである。
三大名作と呼ばれる人気の高い演目の一つが「義経千本桜」です。ここには三人の魅力的な登場人物が出てきます。即ち、二段目の渡海屋銀平(実は平知盛)・三段目のいがみの権太・四段目の狐忠信の三名です。この三役を本舞台で演じるのが立役の夢と歌舞伎界では言われます。ですから題目にも拘わらず義経は舞台回しの様な役回りと思われて居ます。一方原作を虚心坦懐に読めば、主人公はやはり義経公であり、これ等の三名はそれを際立たせる重要なワキの人物であると言う説も在ります。それは兎も角として、今回はその三段目のお話です。
三段目は、端場に「椎の木」と「小金吾討死」が付いて、切りは「鮓屋」と呼ばれています。ここも大変に人気の段でして、歌舞伎に於きましては、端場を含んで三段目だけの通しの形でも、或いは切りの鮓屋の場だけの形でも、良く上演されます。文楽では、端場からの通しの形が普通ですが、これも良く取り上げられます。人気の秘密の一つは、権太の性格だと思われます。ならず者だと思われて居たのが手負いになってから実は善玉であった事が明らかになる逆転が大きな要素でしょう(これをモドリと呼びます)。それに加えて、権太の基本的な性格作りが在ります。歌舞伎に於ける江戸前の権太は、すっきりといなせなやくざ者に仕上げてあります。天下の色男と呼ばれた十五代目の羽左衛門は「吉野の田舎やくざが一時江戸に出て都会の水で磨かれて後又吉野へ帰ったのだ」と語ったとの記録があります。一方上方風の権太は、地回りの田舎のならずもので若干のマザコン気味のチンピラに仕立てます。勿論主要な筋は全く同じですが、台詞回しの調子(上方風は当然に関西弁の権太です)や、些細な仕種にこの二つの違いが伺えて、これも面白い点なのです。
文楽はと言いますと、原本に忠実にと言うのがその基本であり、義太夫の基本言語が河内弁である事もあって、どちらかと言えば上記の上方風に近いのでは無いかと思っています。それが人形の仕種にも現れて、例えば、権太が梶原から陣羽織を貰い直ぐにそれを着て見たり、梶原に「健気な男め」と褒められて、テレ隠しにそれを頭から被って見せたりの仕種が出ますがこれは、江戸前の歌舞伎には無いのですが、上方風を取り入れた仁左衛門の権太はこれを演じます。言ってみれば人形風乃至上方風の権太の方が、よりお客様に近いのかも知れません。さて、文楽の三段目、権太遣いの喋る台詞です。
お里と弥助が気分を盛り上げて居る最中に権太が入って来ます。母親に金の無心の肚積もりです。「また兄様か、ようお出で」とお里がびっくりするのに対して権太は「エェ、きょときょとしい、・・・二人ながら奥へ失せう」と毒づきます。これは本文にあるもので、当然には太夫が語りますが、中には権太遣いからの要請で、最後を“奥へ”で止め、次を権太遣いが「失しゃーがれ」と続けた事がある様です。昔の玉助がこれを演ったとの記録があります。
梶原が出てきまして、権太の二回目の登場の後、持参の首と二人の人質を渡します。梶原が褒美に親父の命を助けようと言うのに、「そんなものより、俺にはとかくお金」と悪がりせびります。その直後梶原が「コリャ権太、一家の奴等暫く汝に預くるぞ」と続きます。この「コリャ権太」の直後に権太遣いが「何じゃい」と返答したケースがあった様です。これも上方風の権太だから映える捨て台詞と言えると思います。
台詞では無いのですが、段切れ近くで権太は一文笛を吹きます。芝居ではこの笛を合図に惟盛の奥方と子供が出てきます。本文では「袖より出だす一文笛、吹き立つれば」と在ります。人形使いはこの通りに笛を取り出して吹く仕種をしますが、実際にも吹いたのだそうです。初代栄三はその自伝の中で「昔は黒衣で人形を使いましたから、頭巾の中で笛が吹けたのです。今は出遣いとなってこれが出来ません」と書いて在ります。今は多分御簾内でお囃子方が吹くのでしょう。簡単な笛だけに人形遣いが吹いた方が味わい深い音がしそうに思えるのは僕だけでしょうか。
今回は、人形遣いの喋る台詞の三回目として、義経千本桜の三段目鮓屋を取り上げ、主人公権太の性格作りを絡ませて考えつつ、それを上手く踏まえて喋った権太遣いの台詞を、見てみました。