人形浄瑠璃では、原則としましては言葉に依る表現は全て太夫の語る義太夫に限られて居ます。ですから、その出し物なり当該の一幕なりの、雰囲気の設定から物語の展開の様子、登場人物全ての性格の違い等を語り分ける事になります。勿論、三味線がその太夫の意向に合わせて、その場に相応しい音や節を付けて盛り上げる訳なのです。ですから人形方は、足遣いの踏む足拍子と介錯(黒衣姿の後見役)の入れるカゲの音(歌舞伎のツケの音)等を例外として、後は無音・無言で終始します。
その中で時々“エイッ”とか“ヤッ”とかの掛け声が人形方から入る事が在ります。この掛け声には二種類在りそうです。
一つは、役の必要から掛ける声です。「弁慶上使」では、舞台上で既に手負いになって居る二人の登場人物の首が打ち落とされます。これは屏風の陰等で行われる手筈になっていますが、刀を構えて振り下ろすのは観客から見えます。その振り下ろす瞬間に“エィッ”と、これは人形方の主遣いが声を掛けます。
もう一つは、演技が盛り上がり大きな極まりや見得の瞬間に掛ける事があります。女形の大きな見せ場である“後ろ振り”が決まる瞬間等で、これも主遣いが“ハッ”とか“ヤッ”とか、掛けるのです。
前回触れました忠臣蔵・大序の高師直の「早ぇーわ」は、これらの掛け声とは随分違う言わば“台詞”としての性格を持った言葉で、これを人形方が喋るのは、勿論例外的な事柄で在るだけに、興味が湧く事でもあります。実は実際には出会った事は在りませんが、記録や芸談等で出て来た例を拾って見る事にしましょう。
先ず「敵討襤褸錦」の“大晏寺堤”の段。非人に身をやつした次郎右衛門に敵役の宇田右衛門が絡みます。床が次郎右衛門の台詞として「ご家来のうち何方なりとも何奴なりとも、・・・」、ここで宇田右衛門が一言「馬鹿者」。この一言を人形遣いが言ったとの事です。これは名人と言われた栄三の言葉として、自分で言ったとありますので、そうなのでしょう。この段は歌舞伎では中々掛かりません(歌舞伎の場合外題は“非人の仇討”となるようです)。文楽に於きましては、この段の浄瑠璃は難曲の名曲として、良く話題に取り上げられる処ですが、人形遣いの台詞としては、その後姿を消したものの様です。09年2月の上演時にも出ませんでした。
次は「彦山権現誓助剣」の“毛谷村”の段。女武道のお園が、相手は目指す許婚の六助と知って、床の太夫が、(お園)「お前には女房様がござりますか」、(六助)「イヤ様子あって女房は持ちませぬ」、(お園)「ないかえ、ないかえ、オオ嬉しや、それでほんまに落ち着いた」と続くやや滑稽な一場面があります。この「ないかえ、ないかえ」の時、舞台上の六助の主遣いが「無い、無い」とか「無し、無ァ―し」等、合いの手を入れる事があったらしいのです。やや軽い滑稽染みた場面ですので、入れたら素敵な効果が在りそうに思います。
もう一つ「生写朝顔話」の“宿屋”の段。このお話は元祖「君の名は」見たいなお話で、主人公の二人があちこちですれ違います。この宿屋の段でもすれ違うのです。目を患って見えない主人公の深雪は、直前に琴を聞かせた相手が目指す相手の阿曽次郎と知って、半狂乱になって追いかけようとします。宿の主人の徳右衛門は、夜でもあり雨風も激しいので止めようします。義太夫が、(徳)「これはしたり、危ないこと」、(深雪)「イヤイヤ、放して、放して」、と進み、人形が揉み合います。この時、徳右衛門の人形遣いが「まだまだやらぬ、そりゃやらぬ」と台詞を言ったとの事、深雪を遣って居た紋十郎が辟易として小声で「あんた、うるさいがな」。
この最後の徳右衛門の人形遣いは駒三郎と言ったとの事ですが、淡路の出身であった人の様です。人形遣いが台詞を喋るのは、昔から淡路系の人に多く、と言う事は、淡路の人形芝居では、本に無い台詞を良く人形遣いが喋った様なのです。こう言う伝統も今は既に消えて居るものと推定されますが、惜しまれる伝統と言えると思います。
歌舞伎と文楽で、同じ演目を上演する事は実に数多くあります。その殆どは、人形浄瑠璃で演じられ人気を集めた演題を、歌舞伎に移したものなのですが、中には逆に歌舞伎オリジナルを文楽に移したものもあります。これらの演目を、文楽と歌舞伎の両方で見て、比べてみるのは興味の尽きない楽しみなのです。両方の差を発見して、次にどうしてその差が生じたのかを考えてみるのです。
例えば、菅原伝授手習鑑の「寺子屋」の段、首実検に来た松王が途中で源蔵の女房戸浪とぶつかり「無礼者!!」と大声を上げて見得を切る箇所が歌舞伎にはあり見所の一つとなっています。然し乍らこのくだりは文楽には全く在りません。忠臣蔵の六段目は「勘平腹切」の場ですが、歌舞伎では手負いになった勘平が「如何なればこそ勘平は、艶に耽ったばっかりに・・・」と、それこそ一世一代の名台詞を吐きますが、浄瑠璃の方は、この歌舞伎の長台詞の後半はありますが、名調子の語り出しの処は無いのです。どちらを先に見るかにも依りますが、僕の場合は歌舞伎の方が先ですので、文楽では何と無く肩透かしを食った気持ちに良くなったものです。今日のお話はこの辺りから始めましょう。
その忠臣蔵の始まりは「大序」と呼ばれ、“兜改め”と“恋歌”の二つの場に分かれます。この始まり方も、歌舞伎と人形で種々違いがあって面白いのですが、それは後日に譲って、段切りの箇所つまり“恋歌”の終りの処です。チャンスとばかりに塩冶判官の奥方に言い寄った高師直が、邪魔に入った若狭助をいたぶります。むかっと来た若狭助が刀に手を掛けますと「還御」と声がかかり、足利直義公が退出します。一呼吸あって、その場を離れようとする若狭助と判官に、二重の上から師直が「早ぇーわ」と冷やかします。二人が元に戻って直り、もう良かろうと行きかけると今一度「早ぇーわ」と掛かります。詰め寄ろうとする若狭助を判官が鎮めて、幕となります。何人かの師直を見て居ますが、大筋はこの様に幕になります。一番最近見た富十郎の師直もそうでした。処で、この「早ぇーわ」は、浄瑠璃には無いのです。この場の三人は、歌舞伎の花形役者が揃いますので、印象を強める為に、歌舞伎の方でちょっと工夫したのだと思って居ました。
古い芸談等を探して読むのも面白いものですが、何年か前に実は文楽の方でもこの「早ぇーわ」が出る事があるとの記事にぶつかりました(三宅周太郎の名著「文楽の研究」の、昭和3年の弁天座に於ける通し上演の項)。と言うと、これは必ずしも歌舞伎のスター主義から来る入れ事では無かったのかなと思い始めました。処で、標準的な浄瑠璃本にはこの台詞は在りませんので、太夫が捨て台詞的に入れたのかと思いました。どうも違う様でして、何とここの「早ぇーわ」は、師直の人形遣いが入れた様なのです。何時誰が演ったのが最初なのか今となっては分からない様ですが、どうも随分歴史のある事柄の如くに読めました。その後気を付けて種々の本を読みますと、ポツポツとこれに触れて居ます。どうやら、人形の方が先で、これを歌舞伎が取り入れて本台詞に昇格させたのが歴史の様です。その、文楽での入れ方も、種々あって(なにしろ人気の演目ですので数多く上演され、その度に違うのかも知れません)、入れたり入れなかったり、その入れ方も、主遣いが入れたり足遣いに言わせたり、時には床の太夫に語らせたりと、必ずしも決まった形が在る訳では無さそうです。暫く前に亡くなりました玉男師も、足遣いの頃言わされたと言う言葉を残して居ります。二年位前に上演された折には、全く入りませんでした。
それ以後、人形遣いが台詞を入れる事があった役やその台詞を意図的に探して見るのですが、そんなに多くは在りませんが、幾つか在りそうです。でも、未だ実際に聞いた事は在りませんので、何時か聞きたいなと思いながら居ります。
少し前に“古楽”に付いてお話を致しました。ここ20年位のやや新しい動きとして、演奏する曲が作られた時に使われたであろう楽器を使い、その時に演奏したと思われるオーケストラの規模や編成で当該の曲を演奏する形態が、かなり広範な市民権を得たと申し述べました。その折、楽器の特徴等に関しては幾つか申し述べましたが、楽隊の規模や編成に付いては細かくは触れませんでした。今回は、此処に光を当てて見ようかと思います。
プロの楽団の演奏会に行きますと、簡単なプログラムや曲目の解説のパンフレットを呉れます。これを見ますと大概のものには、その楽団のメンバー表が掲げられて居ます。そのメンバー表には、多くの場合100名を裕に越すメンバーが紹介されて居ります。弦楽器群が、大きい楽器程少ない数になって居ますが合計で70名を超えて居るでしょう、管楽器群が夫々4~5人ずつ7つのセクション、それにチューバやハープの少数派に加えて打楽器群が5~6人、総計で110人の余に上ります。と言って、演奏される曲の全てにこれらのメンバーの全員が出る訳では在りません。大概の曲には、作曲者の指定が為されています。その指定は多くの場合、管楽器に何人との指定が為されています。例えば、フルートは3人でその内一人は時々ピッコロに持ち替えて演奏すると言った具合で、作曲家は三人のフルート奏者の為に三本の楽譜を書く訳です。これに比べて弦楽器の演奏者の数の指定は余り無く、弦五部が纏めて書かれて居るのでしょう。勿論中には、各セクション(第一ヴァイオリン等)が、二部・三部に分かれて書かれて居るケースもあるでしょうが、それが直接演奏者の数を示さないのです。ですから、如何なるバランスの弦楽器群を構成するかは、多くの場合指揮者の考えに依るのだと思われます。そんな事で、実は何回も聞いた事のある曲でも、“今日はどんな編成で演奏されるかな”と言う点は、聴く度に楽しみな事柄であるのです。先に書きましたパンフレット等にも、親切な楽団のものは、演奏される曲の楽器の編成も書いてあるのです。
この楽器編成の表には、管楽器は詳しく書いてありますが、弦楽器は多くの場合“弦五部”とのみ書かれて居ます。つまり指揮者が最適なバランスと考えた構成の弦楽器群となって居るのです。客席から観ていますと、一階の席からは後ろの奏者が判然と見えませんし、二階・三階からですと遠くて視認し難い事もありますね。そんな時、全ての弦楽のパートを一々確認する代わりに、コントラ・バスの数を数えると、ほぼ正確な概数が計算されます。それは、コントラ・バスから順に楽器が小さくなるに連れて二人ずつ増える構成が普通であるからです。ベースが8本ですと、チェロが10本、ヴィオラ12本、第二ヴァイオリン14本、第一ヴァイオリン16本と、こうなるのです。これで、総計60人の弦楽器群となります。ベースが2本減ると全体で10人少なくなる勘定です。弦楽の各セクションの総数は稀に奇数の事も在りますが、大概は偶数でして、二人で一つの楽譜を演奏して居ますよね。
マーラーやR・シュトラウスの大規模な曲は、管楽器が5本ずつでベース10本の、総計で120人に及ぶ大編成となる事も多いのです。ベートーヴェンやブラームス等のロマン派の交響曲は、管が3人ずつでベース6本の総計80人位の編成が普通の様です。さて、これがハイドンの時代には如何であったでしょう。彼が長年勤めたエステルハーツィー侯の楽隊は、第一ヴァイオリン11人、第二ヴァイオリンも11人、ヴィオラ以下チェロ・バス・オーボエ・ホルン・ファゴット迄が二人ずつで、合計が34名であったらしいのです。彼の100曲を超える交響曲の多くはこの編成の楽隊の為に書かれて居るのでしょう。今から見ますと、ヴァイオリンに加重の掛かった構成に思えますが、これはこれで面白いバランスでは無いかとも思われます。特に管楽器の出せる音量に限りがあった時代ですので、これで良いバランスであったのでしょう。“古楽派”の人々は、こう言った記録を探して、当該の曲の初演時の楽隊の大きさ等を調べると共に、使う楽器の特徴だのホールの大きさだのを考慮に入れて最終的な編成の大きさを決めるのだと思います。
近・現代の音楽には、特殊な編成を前提とした曲も多く書かれて居ます。そんな場合には、何より楽団の構成が関心の一つになるのです。又基本的には指揮者の考えなのでしょうが、ベートーヴェンの同じ交響曲を、ベース4本から始まる構成と8本からの構成のものと聞いた覚えが在ります。そんな時には、楽隊の編成から、「この指揮者は何を問い掛けようとして居るのかな」と思いながら聞くのも楽しい事の一つなのです。
そろそろ又甲子園の高校野球が始まります。この夏の大会が始まると、反射的に思い出す事が幾つもありそうですし、それは皆様各々区々なのだろうと思われます。でも何人かは、出場校の応援席の花形主役であるブラス・バンドの活躍を思い出されるのでは無いでしょうか。暑い中を長時間に亘って、折り目節目に広い球場をものともせずに熱演を繰り広げる彼らの活躍は、夏の球宴の彩りとし真に印象的なものが在ります。今日はこの楽団のお話をしましょう。
ラッパの類と打楽器は多分最古の楽器の一つであったろうと推測されます。従って、弦楽器を含まない形式の楽隊を吹奏楽と呼ぶとすると、その始まりは大昔に遡れるのだと思います。古代エジプトで鳴って居た吹奏楽等は、想像するだに面白そうですが、残念ながら楽譜が残って居る訳でも無いですし、諸遺物の解読等で少しずつ分かりつつあるのが現状の様です。その後、音楽の発展の中に吹奏楽もあったと思われ、民衆の祭(収穫感謝祭や四季の喜び等)と、宗教(典礼の付属曲と例えば葬送の鎮魂等)とが、主たる活躍場所として発展して来たのでありましょう。近世になって、国民国家の意識が芽生え常備軍が出現しますと、吹奏楽は此処に活躍の場所を見つけます。今でも軍隊では、起床や就寝の合図はラッパで為される様ですし、最初の近代常備軍の於いては演習時の合図等にもラッパの類が使われた様ですから、管楽器が身近な存在であったのでしょう。その内、軍楽隊が編成され、隊員や国民の士気を高める為の音楽を演奏する様になります。これが吹奏楽の近代的な発生を形作った様です。この事はある種の伝統となって居まして、現在でも各国の主要な吹奏楽団の大きな部分を、軍楽隊乃至それに性格の似た楽隊が担って居ります。
吹奏楽は文字通り吹いて鳴らす楽器中心の楽隊で演奏される楽曲を意味します。つまり金管楽器(ラフに言えばラッパの類)と木管楽器(笛の類)及び各種の打楽器に拠り編成されて居ます。現在のオーケストラに含まれて居るこれらの種類に属する楽器は全て含まれた編成になって居りますが、実はオーケストラでは中々お目に掛からない楽器も沢山出てきます。例えば発音機構はクラリネットに似たサキソフォーン、トランペットに似たコルネット、小型のチューバ見たいなユーフォニューム、コルネットの大型に見えるフリューゲル・ホルン等々です。また、吹奏楽用に作曲された楽曲も沢山在りますが、もっと多くはオーケストラ用に書かれた曲を吹奏楽用に編曲した曲でしょう。これ等のオーケストラ曲から編曲された曲に於いては、元々弦楽器が受け持つ部分の音や和音は、クラリネットを中心としたリード楽器(音を出すのに一枚乃至二枚の弁を使う楽器)が受け持つ事が多いのです。ブラスバンド(吹奏楽団の別名)の発表会等で、“馬鹿にクラが活躍するな”と思われたら、その曲は多分編曲された曲なのだと思って間違い無いと思います。
彼等が演奏する曲は、専用の曲も多く在りますと言いました。大作曲家の中でも、ベートーヴェン・ベルリオーズ・メンデルスゾーン等を始め多くの作曲家が書いて居ります。ヘンデルの「王宮の花火」は、今では管弦楽として演奏されるのが普通ですが、元々は吹奏楽の為に書かれた曲の様でして、以前“古楽器”を使った吹奏楽団の大変に大規模な編成のものに拠る演奏を聴いて、印象的であったのを良く覚えて居ます。
ラッパの類は大音量の楽器であり、従って野外演奏が主たる活躍場所であった時代が続いた様ですが、管弦楽も規模が拡大し、それに連れてホールの大きいのも作られる様になります。この大ホールが、吹奏楽に新たな活躍場所を提供して呉れ、演奏が洗練されて来ます。吹奏楽団に依る大ホールでのコンサートが時折開催される所以となって居ます。
然しながら、軍楽隊の流れは否定しようも無く、現在我が国の代表的な演奏団体は、自衛隊・消防庁・警察・海上保安庁等が持って居る楽団となります。専門教育を受けたプロの演奏家が公務員になるのは、教師以外ではこれ等の楽団に限られて居そうです。そのほかの吹奏楽団は、何れもアマチュアでして、学校や職場乃至地域のコミュニティーに属して活躍をして居ます。毎年幾つものコンクールもあり、吹奏楽の作り上げる独特な音場と魅力は、多くのファンを持って居るのです。高校野球の応援の為のブラスバンド活動は、これ等のアマチュァ吹奏楽団への大きな人材供給の源となって居るとも思われるのです。
そんな事を考えながら、今年の高校野球は、野球そものとブラスバンドの活躍との両方を楽しんで見て下さい。