音楽会のチラシ等に、「古楽の巨匠」だの「古楽派の泰斗」だの或いは「古楽器に依る演奏」だのと言う表現に出会う事が、良くあります。今回はこの「古楽」について考えて見ましょう。
上記の様な書き方の意味する処は、大雑把に言えば「その曲が書かれた時、即ち最初に演奏された時の演奏形態で演奏する」と言う事を意味します。ですから、使われる楽器も、出来たら当時のもの、それが無ければ種々の文献等から推定される当時の楽器と思しきものを忠実に復元させた楽器(これ等を古楽器と呼びます)を使います。演奏も、初演当時或いは作曲者が生きて居た頃の演奏の特徴をそのまま生かした演奏を心掛ける事になります。こう言う考え方は戦後間も無くから始まった様です。バッハ以前のバロックと呼ばれる時代にも実に豊な音楽が作られ楽しまれて居た事が、古い書物や楽譜から次々に発見されて行きます。バロックの前のルネサンス時代、更に前の中世の音楽と、発見が続きます。これらの楽曲を、近代の楽器(これを古楽器に対応させる意味でモダーン・楽器と呼びます)で演奏しますと、その余りに単純に聞こえる曲の出来上がりに疑問を持った人達が、その当時の楽器でその当時の演奏方法で演奏したら、違う印象の曲が出来上がる筈であると考え、この辺りがどうやら出発点であった様に思えます。でも最初は、その主張がやや過激であったのと、例示的に取り上げる曲が特殊であった為に大きな流れにはならなかったのです。これらの人々の運動が市民権を獲得し始めたのは、‘80年代の事かと思います。
19世紀に音楽は大きな変革を遂げます。それは二つの異なった形での展開が可能にしたと言えましょう。一つは、楽器の改良です。より大きな音量の音をより正確に出しうる楽器が次々に開発されて行きます。もう一つは、音楽の一般化でして、それまで音楽会等に縁の薄かった大衆とも呼ばれるべき人々がコンサートに出掛ける様になります。必然的にホールが大きくなります。楽隊の編成も大きくなり、ここで大きな音を出せるようになった楽器が活躍します。曲の方もそれに合わせる様に、大編成で長大な曲が次々に発表されます。19世紀末から第二次大戦辺り迄は、この方向での展開が主流であったと言えるでしょう。その流れが行き着く処迄行って仕舞ったとの閉塞感が、戦後の文化的な混乱の中からから生れます。そしてまるで反対の方角への展開が図られたのが、古楽の流行では無いかと思うのです。
以上の様な歴史を見通しますと、古楽の得意な分野は、バロック音楽の室内楽的な規模の曲と言う事になりそうです。良い例は、バッハやヘンデルの諸作品だと思います。バッハの宗教曲は、曲の規模が大きい曲もあります。ロ短調のミサ曲やマタイとヨハネの受難曲・クリスマス・オラトリオ等です。これらの曲は、大規模なオーケストラと大きな合唱隊とで演奏される事も多いのですが、同じ位の頻度で小規模な古楽器の楽隊と少人数の合唱とで演奏される機会も増えて来て居ります。両方を聴くと、こちらに残る手応えが随分違う事に気が付きます。一概にどちらが良いとは言い難いのは、受け手である僕たちのその時の状態に依って違うと言う点も大きいからです。元々室内楽として書かれた組曲や協奏曲等に関しても事情は同様ですし、それはヘンデルの諸作品に関しても同じ事が指摘出来ると思います。
モーツアルトのピアノ協奏曲を古楽として演奏した録音を持って居ます。フォルテ・ピアノと呼ばれる一世代前のピアノと、古楽器のバックに依る演奏でして、聴いた瞬間は、何とも地味な音の連なりに驚きますが、その内にこれはこれで楽しい演奏だと思い出します。
これらバロック音楽ないし前期古典派に属する楽曲の演奏会に出掛けて、出て来た楽隊が持っている楽器が、何時も見慣れて居るのと違うなと思ったら、それは古楽器に依る古楽の演奏会であるかも知れません。独特の渋い音の作り出す空間の広がりを楽しんで下さい。
文楽の人形の首(かしら)の素材は木曾檜の良質なものを厳選して使います。水に漬けて油分を抜いたり、その後に何年も乾燥させたりの、時間の掛かる工程を経て、実際の彫りに掛かる様です。彫刻刀をふるい出す前に、長方形に切り出した素材の材木に下絵を施します。顔の造作の真ん中の線を正確に取り、これに左右対称になるように、眉・目・鼻・口の位置を決めて書き込みます。この下絵で見当を付けた通りに、彫り進めます。この工程は素彫りと呼ばれ、仕上がりの寸法よりも少し大きめに彫る様です。
この彫りが済みますと、耳の前で前後に二つに割ります。そして中をくり抜くのです。このくり抜いた中に、目や眉・口等が動く必要のある首ですと、その為の仕掛けを取り付けて行くのです。仕掛けはバネ仕掛けになっていて、その仕掛けを動かす糸を引きますと例えば眉が動きますが、その糸を放しますと元に戻るのです。このバネは、古来セミクジラのひげの部分を使い、長さやバネの強さを調整して仕込みます。クジラが獲れなくなりまして、この貴重なバネの素材が心配されたものですが、使うのはほんの小さな部分ですし、クジラのひげは一本でかなり大きいので、当面何十年かは心配せずに使える位の手持ちはある様です。この仕掛けを動かす糸は、太棹の糸が使われます。人形遣いが握る胴串と呼ばれる部分に小さな取っ手が付いていて、そこに結ばれます。
こうして彫りが完成しますと、今一度前後を張り合わせ和紙を全体に張った後に塗りにかかります。塗料は胡粉と呼ばれる貝殻を粉に挽いたものをニカワで溶いてそこに若干の顔料を加えたりしたものを、何回も塗ります。この塗りは完成しても表面がツルツル・テカテカとは光りません。強い照明が当っても顔の表情がお客さんに良く見える為の工夫と言えるでしょう。その後に、基本的な化粧を施して首(かしら)は完成となるのです。
以下で首の種類と役柄についてそのほんの一部をご紹介しましょう。
立ち役の首(かしら)
・ “文七”、線の太い男性的な顔立ちで悲劇の主人公向き、手習い鑑寺子屋の松王丸等。
・ “検非違使”、けんびしと読まれ実のある役処向き、盛綱陣屋の盛綱や寺子屋の源蔵等。
・ “孔明”、洞察力・気品・聡明さを伺わせる顔立ち、忠臣蔵の大星由良之助や手習い鑑の菅丞相等。
・ “団七”、大団七は、ふてぶてしい悪役向きで仕掛けの動きが豊富であるし、小団七は一回り小さくした感じで鮓屋の権太等に使われる。
女形の首は、立ち役と比べると種類はさして多くないし、顔の造作の動く仕掛けも少ない。
・ “娘”、これは主として未婚の女性用の首で仕掛けの無いのが殆どだが、目を閉じるねむりと呼ばれる首もある。歌祭文のお光やお染、二十四孝の八重垣姫等の赤姫等、曽根崎のお初はねむりの娘を使う。
・ 老女形”、名前にも拘わらず若くても既婚の女性はこの首を使う、だから非常に多くの役柄で使われる、夏祭り等は老女形が一杯出て来る。
・ “ガブ”、女形の首の特殊なもの、仕掛けの糸を引くと一瞬にして金色の目を剥き出し、口が裂けて大きく広がり時には角迄生えるもので、鬼女が一瞬本性を表す時等に使われる、日高川の清姫等。
文楽の舞台を見ていますと、実にリアルに人の動きを模して居ると感激しますが、その基本はこれ等の人形の持つ首(かしら)の雄弁さがある様に思えます。その意味でかしらの話は興味が尽きないのです。もう少し続けようかと考えて居ます。
文楽は人形芝居でありますから、人形が出て来ます。と言う事は、頭があり顔があり体が作られて居る訳です。今日はこの頭部のお話を致しましょう。
文楽で人形の頭部の事を首と書いて“かしら”と呼びます。文楽の写真を見ますと、人形の首は、曽根崎心中なら、お初はお初らしく髪を結い化粧を施して写っていますね、徳兵衛も同様です。でもあれはあくまで舞台姿で在りまして、首は実はスキン・ヘッドの様に髪を置いて居ない形で作られ且保存されて居るケースが多そうです。どの位の種類があると思われますか。
一番簡単な推定は、演目毎の登場人物の数だけ在るだろうと言う類推です。こうなると物凄い数の首が必要になります。歌舞伎ですと、一人の役者さんが多くの役を演じます。当代の実事系の名優である吉右衛門は、弁慶もやる熊谷もやる盛綱もする樋口も演じる関兵衛も踊る、加えるに世話物の諸役も演じます。さすれば、吉右衛門そっくりの首を作って、これ等の諸役の折には、化粧を変えて登場させると言うアイデァも出そうです。でも、そっくりの首等出来る筈も在りません。それにそうなりますと今度は古今の名優達の首を数揃える事となり、これはこれで無理な相談となります。
そこで文楽では極めて実際的な対処をしているのです。登場人物の性格のおおもとの処(ハラと呼ばれるもの)で幾つかに分けて、その性格に似合った首を拵えて同じ性格の諸役に使いまわすと言う形です。文楽の首は不思議な酷使のされかたをします。例えば、中には眉毛が動いたり、目を瞑ったり、目玉が動いたり、口が開いたりの、多少の表情付けが出来る首もあります(これらの仕掛けについては、その内お話します)。でも、動かない首も多く在りますし、一部が動いても基本的には一つの表情をしているのです。首の角度だの体とのバランスだので、表情が異なって見えて来る事も多々在りますが、それでもピントをきっちりと合わせた写真を撮れば同じ顔付でして、これは物理的には如何とも仕方の無い処であります。その同じ表情で、友達と大喧嘩をしたり、女性を口説いたり、挙句の果てには人を殺したりするのです。この“基本的には同じ表情”で次々と異なった仕種をしてのけると言うのが、人形劇の大きな特色でして、もしかすると、往々にして歌舞伎よりも感銘深く訴えて来る感じがする秘密の一つでは無いかと思います。
文楽に行き「筋書」を求めますと、出演者の紹介と共に、各役に使用される首(カシラ)が出ています。どの役にどの首を使うかは、どうも難しい問題の様でして、公演毎の割り振りを決める人の事を「首割(かしらわり)」と呼びます。長年に亘り、人形方の人間国宝である吉田文雀がこの役を務めております。
どの役は何の首で舞台に登場するのかと言う点にも、ご注意を払って頂きたいのです、文楽が一層身近になると思います。
久しぶりに歌舞伎固有のお話で、これまでに特に触れて来なかった事柄について、筆を進めて見ましょう。
今回のテーマは、「隈取り」です。
写真でも絵でも或いは漫画でも宜しいのですが、視覚に訴える図柄を一見して「あぁ、歌舞伎」と思わせるものが幾つかありますね。例えば定式幕、縦三色の幕を見ると、歌舞伎と反射的に思いませんか。例えば装束、助六だの弁慶だのの扮装の姿を見ると、それが可愛い人形であっても、これも歌舞伎と思いますね。同じ様に、歌舞伎を真っ直ぐに思い出させるものに「隈取り」が在るでしょう。赤や茶、一部黒だの藍だのの色で、顔に付けた模様を、写し取った色紙等を見ますと、一見歌舞伎と連想します。あれが隈取りです。
隈取りは、言わば歌舞伎独特の化粧法なのです。文楽の人形は隈取りをしませんし、歌舞伎でも女形はしません。つまり、歌舞伎独特とは言え登場人物全てがする化粧法では無くて、一部の立ち役にのみ施される、特殊な表現を狙った化粧法と言えます。それだけに隈取りをした人物が登場しますと、印象が一段と鮮やかな訳です。
辞書で「隈取り」を引きますと、歌舞伎の化粧法の他に、日本画の技法の一つとして“墨や色をぼかして、遠近・高低・凸凹等を表す事”と言う意味が出て来ます。歌舞伎の隈取りもこの日本画の技法の意味から来て居そうです。事の起こりは、“荒事”の芸を追及した団十郎家での工夫からの様で、代表的な隈取りである「筋隈」は、二代目の団十郎が作り上げたと言われて居ります。この筋隈は英雄的人物に施される隈で、顔の筋肉や筋を表す為に、何本かの線を引き、その線を片側でぼかすと言う形で作り上げて行きます。この線を引いて、ぼかしを加えると言うのが、日本画の技法の隈取りな訳で、歌舞伎の役者はそれを顔をカンバスにして画くと言う事になります。
「筋隈」を入れる代表的な役柄としては、「暫」の権五郎、「矢の根」の五郎、「車引」の梅王丸等が数えられます。筋隈の筋の数を減らしてスッキリさせた隈に「一本隈」が在ります。「国性爺合戦」の和藤内は、最初に一本隈で登場して途中で筋隈に変わります(当然の事乍ら一度舞台から引っ込んで化粧を直す訳です)。これは、主人公の気持ちの高ぶりを隈取りの方でも表して居ると言えます。目元から眉にかけての筋のみ入れる隈を「剥身(むきみ)隈」と呼び、これは助六だの「対面」の五郎等です。皇位を狙う悪人は「公家悪」と呼ばれる隈を藍色で入れます。化粧からして、気味悪さが漂います、「暫」の武衡「車引」の時平等がこの化粧で現われます。その他細かく言えば、やや滑稽味のある「猿隈」「鯰隈」「蟹隈」などが在りますし、「鬼女隈」だの「亡霊隈」等も、場面場面で極めて重要な雰囲気を伝えて呉れます。
中国の京劇の写真を見ますと、歌舞伎の隈取りに良く似た化粧の登場人物が散見されます。孫悟空等はその典型例かなと思います。でも、何処か歌舞伎の隈取りとは違うなと思います。違いは上に述べた“ぼかす”技法があるか否かでしょう。京劇の化粧は、ぼかしの技法を使わずに一面にべったりと色が塗られて居ます。そうすると、顔全体が“お面”に近い印象を持ち始めます。これに比べて歌舞伎の隈取は、入れた筋の片側とぼかす「片ぼかし」で画かれて居ます。これで、英雄なら英雄の印象は強めますが、何処までも人間であり続ける役作りが完成するのです。多分、普通の西洋人にはその違いは見つからないのでは無いかしら。
歌舞伎は荒唐無稽だと言われますし、その例が隈取りであると言う人も多いのですが、こうして見て来ますと、隈取りも勝手気ままに思いつきでしているのでは無くて、むしろ隈取りからその役柄の性格も、観客には何も言わずに伝わる優れた化粧法だと思えて来ます。そう言えば、隈取りを入れる様な役を持ち役とする役者さんに取って、顔の物理的な大きさは重大な意味を持つらしいのです。つまり、カンバスが大きい方が良く映える隈取が入れられると言う訳です。顔の小ささを悩む役者さんも居るとか、難しい世界な訳です。
前回指揮者についてお話致しました。今回は指揮者にまつわるエピソードを幾つかご紹介しながら、指揮者なる生物に付いて、もう少し身近にお考え下さる事の切っ掛けにでもなればと思い、お話を続けます。
・モーツアルトの交響曲25番は、短調の曲でして、実に独特の出だしをします。この出だしは映画「アマデウス」に於いて極めて印象的に使われて居りお聞きになれば「あぁ、この曲」とお分かりの方も多いと思います。ある時、ウィーン・フィルがこれの大名演をしたらしいのです。居合わせた日本の音楽関係者が感激して、旧知のヒューブナー楽団長(一時N響のコンマスをして居た人です)に「何が起きたのだ」と聴いたとの事。と言うもの、この時の指揮者は一流になり損ねた人だったからです。ヒューブナー氏は面白くも無いと言った表情で「あの指揮者は頭の良い男で、実は何もしなかったのさ、何だか突然俺たちの中から猛然と湧き上がるものがあってあの演奏になったが、指揮者とは無関係」と断言したとか。
・カラヤンが、演奏するする殆どの曲を暗譜で(多くの場合に目まで瞑って)指揮をして、それが楽壇の大きな話題になって居た時、ワグナーの曲の大御所と言われたクナッパーツブッシュに不躾にも「先生は暗譜では指揮されませんね」と聞いた記者が居ました。クナはひょいとウィンクして応えました「残念ながら俺は譜面が読めるのでね」。
・バーンスタインがグレン・グールドと言う風変わりな天才を独奏に迎えてブラームスのピアノ協奏曲の第一番を演奏する事になりました。練習でグールドが、第一楽章と第二楽章を同じテンポで演奏すると言う自分の思いつきに固執しますので、やむなく折れて、でも曲の始めに一言俺はお客さんに案内するよと言いました。その一言「この曲の演奏は独奏者の主張でこう演奏されます。処で、協奏曲は独奏者と指揮者のどちらに指導権が在るかと良く聞かれます。僕の答えも実際も当然に100%指揮者です。でも我が人生で一度だけ違った事があります。それは本日の独奏者と前回始めでご一緒した折でした」。これはこの時の実況録音にそのまま残って居ります。
・R・シュトラウスと言えば、19世紀末から20世紀に掛けての大作曲家ですが、当時はミュンヘンを中心に活躍する大指揮者でも在りました。彼は指揮のスタイルが独特でありまして、必ず座って指揮をしますし、その指揮も右手のみで全てを表現したらしいのです。音楽会やオペラの主催者が「マエストロ、お願いですから左手も出して、両手で指揮なさって下さい」と頼みます。シュトラウスは表情も変えずに答えます「ギャラを倍払うかい」。そんな彼が自作の曲のある箇所に差し掛かったら、猛然と立ち上がり左手をズボンのポケットから出して両手で名演をしたと言う話も残って居ります。
・40年程前にロンドンに居りまして晩年のO・クレンペラーを5回聞きました。当時既に幾多の肉体的な不幸に見舞われたこの大指揮者は、歩くのも人の介添えが必要な程で、指揮台に上の椅子に座り小さな身振りで指揮します。その指揮振りも決して曲に合った様には見えませんでした。僕は、これはフィクションだと思ったのです。即ち副指揮者が練習を仕上げ、コンサート・マスターが楽隊を仕切って曲を演奏していると思ったのです。見ているのが気の毒に思えて三回目だったか、目を瞑って聴きました。そうしたら、レコードで良く知っているクレンペラーの音楽が鳴って居るのが聞こえて来たのです。何と無く伝説が生れる場に居ると思えて来たものでした。
多分この様な話は、集めたら本が何冊も書ける位沢山あるのだと思います。その指揮者とオーケストラのメンバーとの関係、更には作り上げて聞こえて来る曲、これらの組み合わせはそれこそ数知れず在りましょう。出来上がった曲を楽しみながら、指揮者の個性みたいなものを併せて考えて見るのも一興であると思って居ります。