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古典芸能入門

歌舞伎、文楽、落語に能、クラシックコンサートといわれると、なんだか敷居が高いと思っている方もいるでしょう。 でも歌舞伎にしても文楽にしても昔は庶民の娯楽でした。芸が芸能になり芸術になってしまうともはや文化の領域で自分とは関係ない世界のものと思ってしまったら人生の楽しみは半減します。 このコラムは観客歴40年以上という篠原安心院(しのはらあじむ)さんが、独自の視点で作品を楽しむポイントや役者の話、作品の背景からチケットの買い方、劇場の席を選ぶ方法などがわかる古典芸能をすんなり楽しむためのポイントを優しく親切に教えてくれるコラムです。 安心院さんの厳しくかつ軽妙な文章を読めば、いつしかあなたも古典芸能通になれます。お楽しみに!
2009 年 2 月 のアーカイブ

Vol.104 古典音楽 「オペラ (五) 演出と表現 」

2009年2月26日(木)

時々引きます小林秀雄は名作「モオツアルト」の中で、モーツアルトのオペラに付いてこんな事を言ってます。先ず、我が国ではモーツアルトのオペラの実演に接する機会は無いが(書いたのが昭和18年から21年に掛けてです)、特段不満も無いとしつつ、その理由として「上演されても僕は目を瞑って聞くだろうから」と続けます。彼に依れば、「モオツアルトは、人の声と言う精妙にして絶大な力を持つものを加え、その声を恰も楽器の出す音と等価と感得した上で、オペラと言う言わば交響曲を書いたのだから」と語ります。彼が後年モーツアルトのオペラがしばしば上演される環境になった時(多分幾つもご覧になったのでしょう)、目を瞑って聞いたか、或いは違う感想を持ったかは判り兼ねますが、ある種大きなヒントを与えて呉れる言葉として、モーツアルトのオペラを考える度に思い出します。

 

 さて、文明の発展は僕たちの生活のあらゆる面に多大の恩恵を与えて呉れて居りますが、舞台芸術にとって革命的であったのは、電気の使用の一般化であったろうと思います。電気以前は、歌舞伎や文楽の処でも申しました通り、自然光と高々蝋燭の光位が頼りであった筈ですので、電気に依る照明の発展は革命的ですら在りましたでしょう。その照明ですが、今僕たちが劇場で楽しめる複雑で多様な照明方法の展開は、ほんの最近の事なのです。その他、舞台上の装置の配置換えの時の電気制御とか、廻り舞台やセリ舞台のコントロールも電動になって信頼性も迅速性も遥かに上がりました。大道具をそのまま上げ下げする大ゼリも、例えばワーグナーの指輪のある種の演出では実に効果的に使われて居ますし、歌舞伎ケレンの一つの典型である宙乗りも、その機構を備えた歌劇場が今や普通でして、思わぬ時に宙乗りが出て来ます。

 

 歌劇場自体の建設に関しての技術面の向上も大きくあります。音響学の解析の深化と共に、大きな会場でしかも隅々迄良く音が聞こえる設計が可能となり、メトロポリタンの様に収容人員が4,000名に達しようかと言う程大きなホールも作られて居ます。反面、欧州の各都市にあった伝統的な小規模の劇場も、最新の技術を駆使した形で新装改築されつつあり、これらの劇場は昔ながらの小型の歌劇場としての使命を新しい環境下で背負いつつあるかに見えます。我が国に置きましても一時ホールの建設が相次いだ時代があり同様の目的に使われる事を想定されています。

 

 これらハード面での充実と相俟って、経済が安定するに従い、舞台上の装置や大道具も衣装も徐々に豪華になって行きました。その意味で、伝統的なオペラ・ファンにとって気分の真に良い時代が戦後60年位から85年辺り迄の四半世紀であったのかも知れません。夫々の演目のお目当ての場面が、装置や衣装と共に頭に入って居るファンが今でもそれは多く居られるのです。

 80年代から、例えば指揮者の世代交代が始まります。一時代を作った大指揮者達が次々と舞台から姿を消し、彼らを継ぐべき新しい指揮者が新しい演出家と共に第一線に出て来ます。この新時代の人達は、先ず自分たちがどんな新しいオペラを提供出来るかを問い掛けたくなるのでしょう、演出も表現も斬新なものが目に付き始めます。片や、種々の理由から高度経済成長は望めなくなり始めますと、劇場側からは予算が厳しく設定され始めます。特に先に申し述べた中小の歌劇場に於いてはこの制約が大きそうです。抽象的な舞台設営を照明一つでそれらしい雰囲気を出す工夫をする、そんな方向です。古くからのファンが時に目を剥く事になります。

 

 「フィガロ」の第一幕、装置は廻りに下りたカーテンのみ、小道具はパイプ製のベッド一つ、衣装はパジャマ風なものを着てガウンを着たり脱いだり、そんな舞台を見た事もあります。小林では在りませんが、全く違った理由から目を瞑って聞きました。

スイスの小都市で行われた国際会議の折、時間つぶしで地場の小さな歌劇場に行きました。同様の状況にある台湾の友人二人と共に。この二人の友人は、何しろオペラは始めてであると言うのです。僕は「大丈夫、十分にお楽しみになれますよ」と請け合いました。だって出し物が「こうもり」だったからです。第一幕、装置は舞台上に拳闘のリンク見たいに作られたダイニング・キッチンと思しきもの、道具は長椅子一本とテーブルに椅子が数個、後は冷蔵庫のみ。音楽は頭から最後まで知っているシュトラウスの名曲ですし、歌は中々聞かせました。途中で二人が「これは如何なる筋の劇か」と聞くのですね、当然でしょう(因みにドイツ語圏の都市でして字幕無し)。僕は、「申し訳ない、やや特殊な演出でして、筋はチョコッと話すには複雑なのです。目を瞑って聞いて下さい、音楽は一級品です」と言ったものです。

 

 困るのは、上演されるオペラがそも如何なる哲学に基づいた演出でされるかが判らない事です。伝統的な設営の下になされるのか、それとも極めて前衛的なのか、或いは予算節約的なのか。ですから、実演を是非お聞き下さいと申しましても、当該の上演がどの様なのか判らない訳でして、見ていて抵抗無く舞台と演技を楽しめれば、それに越した事は在りませんが、時には小林を気取って目を瞑って聞きたくなる舞台にぶつかるかも知れません。いっそその方が宜しいかも知れませんね、と言うのは目を瞑れば純粋に肉声の持つ迫力に浸れますから。

posted by 篠原安心院 at 11:30AM
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Vol.103 古典音楽 「オペラ (四) 上演言語」

2009年2月19日(木)

先に正統歌劇場では原語に依る上演が通例で、之に比して喜(軽)歌劇場では自国語に翻訳された形で上演しますと、申し述べました。大雑把に言えばその通りなのですが、これは例えばイギリスやアメリカ等の自国製のオペラがそう沢山無い国では際立った特色として認識される事柄とも言えます。と言う事は、イタリア・オペラはイタリアでの公演が前提で作られて居ますから、オペラもオペレッタもイタリア語で作られそのまま上演すれば良い訳です。この事情はドイツ語圏でも同じでして、ワーグナーやR・シュトラウスもヨハン・シュトラウスも何の疑いも無くドイツ語でオペラやオペレッタを書いて居るのです。ですからこれ等の作品のドイツ語圏での上演は何の問題も無く原語であるドイツ語でなされれば良いのです。中で例外は、モーツアルトでして、ダ・ポンテと言う名人狂言作者と組んだ幾つかの傑作はイタリア語で書かれて居ます。こうなると、例えばウィーンでの上演の際等にその使用言語が問題となって来るのであります。

 

 我が国でも40年位前には、日本語に依る上演が普通でした。「もう飛ぶまいぞこの蝶々」と大橋国一が歌い、「祖国・祖国と言うな、即刻二人を引き出せ」と立川澄人が洒落を飛ばしたものです。オペラは簡単には判り難いから、せめて言葉は日本語に移して上演しましょうと言った配慮が、主催者側に大きくあったのだと思われます。この配慮がそのまま活きているのが、喜歌劇場での原則自国語での上演と言う習慣の様に思えます。

 

 処で二期会の重鎮である栗林義信が面白い経験談を話しているのを聞いた記憶があります。彼が得意とするヴェルディの「リゴレット」の主役を歌いに来て呉れと、ロシア(当時はソ連)のモスクワだかレニングラードに招かれたのです。さて、勇躍出掛けると全部の出演者はロシア語歌詞で歌うのですね。彼は、イタリア語か日本語ならOKですが、ロシア語ではと言うので悩んだそうです。舞台監督が「君の歌は素晴らしいから好きな言葉で歌ったら良い」と言うので、彼一人イタリア語で歌ったとの事。本人は大分違和感があったが、観客には大受けでしたと言う話です。何だか融通無碍にも思えますね。

 

 若かった頃イギリスで語学学校に通って居ました。丁度メキシコ・オリンピックがあり僕の部屋でテレビを見せて呉れと何人かの若い友人が集まりました。中に一人イタリア人の女性が居て、僕の書棚から一冊の本を取り出し「あっ、イタリア語の本がある、“フィガロの結婚”て言うの、面白いのこれ、あなた読めるの」と聞くのですね。これを聞きとがめてドイツ人の男が本を取り上げ「何だ、これはモーツアルトの歌劇の台詞の日・伊対訳本だな、君はこのオペラを知らないのか」と彼女に返し乍ら言いました。彼女は全く知らない様子でした。その内彼女が中のアリア(詩の形で書かれて居ます)を次々に相当なスピードで読み始めたのです。僕とそのドイツ人とは驚いて顔を見合わせました。それは、何にも知らないと言った彼女が読んでいるアリアが、どの幕で歌われる誰のアリアか、二人には直ぐに判ったからです。勿論イタリア語のアリアの文句を暗記していた訳ではありません。彼女の読むそのリズムから、どの歌か判るのですね。言葉を変えれば、モーツアルトがどの位歌詞の持つリズムを大切にして作曲したか、痛切に思い知った瞬間であったのです。この事件があった後、僕はオペラは原語に依る上演に行く事を原則としています。

 

 劇場関連の技術開発や進歩が相次ぎ起きました。我が国での原語に依る上演の折は、昔は心細い人にはイヤホン・ガイドが提供されました。台詞を日本語で喋って呉れるのです。こうしますと台詞には付いて行けますが、音楽を聴くのに重要な耳の片方を取られて仕舞う事になりますし、音が命の音楽を聴きながら楽音以外の音を耳に入れるのも嬉しく無いもので、僕は台本(オペラの全曲盤のレコードには付いて来ました)の予習をして出掛け、イヤホン・ガイドは借りませんでした。これが、電光掲示板となり字幕の形で出始めたのが、80年代の半ばでしょうか。これならばオペラそのものを楽しんでいる感興をさして殺がずに必要な時に必要な台詞のチェックが出来ます。あれっと気が付いたら我が国以外のオペラ場でもその設置が進んで居るのが実情なのです。中で傑作はメトロポリタンの液晶画面です。これは、基本的には一人に一つ設置されて居まして、ですから出て来る訳語も英語以外にスペイン語を始め幾つかあるのです。又、客席が舞台に向って緩いカーブを描いて作られて居て、必ずしも前の席の真後ろに設置されて居る訳でも無く、舞台を見ていて顔を左右に調整すること無く下を見れば目に入る位置にあります。その上、この液晶画面の作りから、隣の席からは殆ど見えない様な工夫がされています。処で、スイスでイタリア語での上演の歌劇を見た時は、舞台の上の画面に出て来る訳語がドイツ語で、僕には宝の持ち腐れであった様な経験もあります。

 

 多分、今後は原語での上演を字幕付きで鑑賞するのが、いよいよ多くなるのだと思って居ます。

posted by 篠原安心院 at 02:16PM
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Vol.102 古典音楽 「オペラ (三) 国民性」

2009年2月12日(木)

 オペラと言う言葉を聴いて、音楽好き・大オペラファンが思い浮かべるオペラは何でしょう。当然の事ながら人に依って区々な訳ですが、大きく分けると二つに分類されそうです。片やイタリア・オペラ、もう片方がドイツ・オペラとなります。

 昔、ロンドンに居りました頃敬愛する音楽好きの先輩が居りました。この人も丁寧に良質なコンサートには必ず顔を出すので、コンサート・ホールではしょっちゅう一緒になったものです。でも、オペラ場では会った事がありませんでした。かれも、コヴェントガーデンには良く出掛けるらしい話は聞いて居たもので、何日かある上演日の違う日に偶々お互いに行っているのだろうと軽く考えて居ました。
 僕は映像の処でお話した様に「ドン・ジョヴァンニ」と「ばらの騎士」の二本の傑作記録映画からオペラへ入りましたので、モーツアルトからワーグナーそしてR・シュトラウスと続くドイツ・オペラの系列を中心に観て回っていたのです。そして気が付くとドイツ・オペラのファンになって居ました。処で件の先輩は、同じく映画が切っ掛けでオペラへ傾倒して行った様ですが、出発点の映画が少し違ったのです。八千草薫主演の「蝶々夫人(‘55年)」だったのですね。(この映画で吹き替えで影で歌っているのが、確か20歳になったばかりのミレッラ・フレーニだった筈です)。プッチーニのイタリア・オペラな訳で、ですから彼はイタリア物を中心に歌劇場巡りをしていたらしく、つまり僕とは中々会わなかったのです。

 この様に、ファンも二分されて居るのです。オペラに通い始めて40年を超えますので僕も大概のイタリア・オペラの実演には接して居ります。でも同じ演目を何回も観に行くかと言えば、そうでは無いのです。例外的に三・四回観ているのが「ボエーム」と「トスカ」「カルメン(これはフランス物)」位で、後は一・二回なのです。これに比して、モーツアルトの三大オペラや「ばらの騎士」は多分夫々10回位は観ています。(歌舞伎で一番観たのが勧進帳で都合12人の弁慶を見ています)。スカパーのクラシック音楽のチャンネルでのオペラの放映に関しても傾向は全く同じで、気が付くとドイツ・オペラを長時間掛けて観ています。イタリア物は、見てもサワリのアリアを聴くと他のチャンネルを探したりして仕舞い勝ちなのです。「何故ドイツ・オペラがお好きなのですか」と真正面から聞かれると困ります。何故でしょうね。何か論理的な説明をしようと口を開くと忽ち思っている事と違う事を言い出しそうです。これは、先の先輩の様にイタリア・オペラ万歳の方々に聞いても事情は同じなのでは無いかと思います。(中にはオペラであれば何でも良いと言う大変な方も居られますが)。

 どうも之は、例えば猫好きと犬好きとか、海の人と山の人等、好みで人を分ける時に感じるのと同じなのかも知れません。どうしてだか合理的な説明は自分自身でも出来ないが、誰が何と言っても俺は海の人である、そんな感じなのでしょう。

 と言う事は、オペラに行き始めますとさして時間を置かずに各々お気が付かれる点では無いかと思います。ご自分はどちらかと言えば、イタリア・オペラの方が楽しめる、そんな印象です。最初に申しました、良く鍛錬された肉声の持つ表現力を楽しむのであれば、イタリア物かなと思います。何しろ歌の国イタリアですから。勿論ドイツ・オペラも歌を楽しみに行きますし、人声の持つ迫力豊かな表現力に圧倒されに行くのに変わりは在りませんが、イタリア物ほど野放図に歌を極限迄楽しむというのとは、若干違うかなと思います。つまりは趣味の差見たいなものなのでしょう。

 この他、ロシアにも立派なオペラの歴史がありますし、旧の東欧諸国にも夫々民族オペラ的な作品に事欠きません。これらの作品の特徴は、実に豊かなメロディーに溢れて居る事でしょうか、そのメロディーが民族的な香りのするものとなっているのです。ドヴォルザークの「ルサルカ」等は、プッチーニ真っ青の素敵な旋律に満ちています。話の題材が民族的である事も多いのですが、それらの作品が民族や国を超えて我が国でも度々上演されるのは嬉しい限りです。

 さて、お分かり頂いたでしょうか。オペラは実に豊穣な世界なのです。暫くしたら個別の演目に付いてのご案内を致そうかと考えて居ます(オペラに限らず器楽曲も或いは文楽・歌舞伎の演目に付いても同様の事を考えて居ます)。でも、同じジャンルの中で真に驚くべき多様性を持っていて、どんなにへそ曲がりな方にもご満足頂ける作品がどこかにあり、その作品の展開する世界が待っているのが、オペラかも知れません。幸運にして始めて見たオペラがどんぴしゃりご自身のお好みの世界かも知れませんし、そうで無いかも知れません。気になるオペラ公演に行って見ようと思われたら、そのオペラのハイライト盤のCDを購入されて先ずは如何なる歌が歌われるかの予習をなさるのも良い方法だと思います。

 そしてどっぷりと、歌の世界、肉声の迫力に浸って見て下さい。音楽に対する感じが若しかすると一変するかも知れないのです。

posted by 篠原安心院 at 01:00PM
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Vol.101 古典音楽 「オペラ (二)」

2009年2月5日(木)

 さて、実際にオペラに行きましょう。チケットを買って、自分の席に座り始まりを待ちます。場内が何時ものコンサートの会場と多少違います。何が違うのか見て見ましょうか。


・オーケストラ・ピット
 正面の舞台には幕が下りています。その舞台と客席の間、客席よりも一段低い所にオーケストラが入って居ます。このオケ隊の居場所の事をオーケストラ・ピットと呼びます。オペラが流行し始めた18世紀から19世紀にかけての欧州の歌劇場は、今程大きなピットは無かったので、中に入る楽隊の総数にも自ずから限度があったものです。最近の劇場は、ピットの大きさ(大きくしたい時には舞台の下に迄延長可能です)も、深さの調整も可能でして、時には百人を超す数の楽隊が入り込んで出し物にあった音場を作り出しています。

・客席
 典型的な歌劇場の客席は、オーケストラ・ピットの後ろに一階の客席が大きく広がります。ここを平土間と呼んだりします。その平土間の席を囲む様にして、二階から時には五階迄、半円形の客席が円筒の壁見たいに立ち上がっています。普通に席が並んでいる所と個室作りになっている所とあります。最上階を天上桟敷と呼んだりします。

・電光掲示板
 最近はどこの歌劇場に行っても設置されて居ます。西欧の場合は横書きですので、舞台の上に出ます。我が国では、縦書きで出ますので、大概舞台の袖に設置されます。原語にての上演の場合に、今歌っている歌詞の日本語訳が出て来るのです(前回、詳しい筋など知らなくても大丈夫と申し上げたのは、この設備があるからでもあります)。メトロポリタンでは、大きな掲示板では無くて、個人用の液晶画面が前の席の背中に付いて居ます。これはこれで良い工夫なのです。

・バーと食堂
 オペラは人が歌います。ワーグナーの大曲になりますと、極限迄喉を酷使する事になります。ワーグナーで無くとも事情は同様で、疲れた喉を休める必要から、幕間の休憩時間が長く(少なくとも30分時には一時間)、必然的に観客も長時間劇場の中に居る事になりますので、コンサート・ホールよりは、バーや食堂の設備が充実して居るのが当然なのです。我が国ではオペラ専用の劇場は新国立劇場位で後はオペラも上演出来る多目的ホールが主流です。オペラ自体の為にはそれで十分に結構ですが、この幕間の為の設備が手薄なのが残念です。

・舞台
 これは客席からは見えませんが、舞台は客席から見えて居る舞台と同じ大きさの舞台が横や奥に控えて居まして、舞台転換等の場合には、これら予備の舞台の上に作られた次の舞台を、有機的に動かして転換を図ります。前は歌舞伎の専売であった廻り舞台も、その機構を備えた舞台が増えて来ております。これらの設備の為もあって、舞台と舞台裏を足し上げると客席全体より大きくなるのです。


 コンサート・ホールとの違いはそんな所でしょうか。そこで上演されるのがオペラな訳です。オペラ、つまり歌芝居です。台詞の殆どが歌われます。一人で歌う場合もあれば、複数の登場人物が一緒に歌う重唱も多く出ます。時には合唱が印象的な合唱を歌いますし、バレエが挟まれる事も多いのです。こうして芝居が出来上がって行きます。

 オペラに行き始めると直ぐにどうやらオペラには二種類在りそうだと気が付きます。一つは、ある場面が終わると、曲が途切れたり地の台詞で繋がったりして又次の歌が始まると言う形式のもの。実は、この形式のオペラには曲の頭から、場面毎に番号が振ってありまして、その番号を追って曲が進むのです。この形ですと、各場面を受け持つ歌手は「俺の出番だ」とばかりその歌の為にのみ張り切ります。観客も、お目当ての歌手のお目当ての歌が終わりますと、盛大に拍手が入ったりします。これは行過ぎると一曲全体の責任者である指揮者や演出家、そして誰よりも作曲家が困るのです。そこで、曲が鳴り始めたら一幕の終りまで曲を滞らせない曲が書かれ始めます。こうなりますと何処から何処までが誰の歌うアリア(言わば主題歌)と言った分類も不要になります。それでも自ずから盛り上がりやサワリはありますが、気が付くと始まって居たと言った感じになる事もしばしばです。

 どちらが良い悪いとか上等下等と言った問題では全く在りません。作曲の時代背景と作曲家の自意識の結果の産物なのです。モーツアルトは番号付の作曲家ですし、ワーグナーは後者の代表でしょう(ワーグナー以後は番号無しが主流です)。でも、聞くほうに取っては、聞いている気分の流れの中で適当な息継ぎの箇所が明確に判る番号付の方が、聞いていて楽ではあります。ですから、最初にオペラに行かれるなら、モーツアルトの例えば「フィガロの結婚」辺りが、一番適当かと思います。

 さて、ピットの奥から指揮者で出てきて、拍手が始まりました。いよいよ始まります。

posted by 篠原安心院 at 01:00PM
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