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古典芸能入門

歌舞伎、文楽、落語に能、クラシックコンサートといわれると、なんだか敷居が高いと思っている方もいるでしょう。 でも歌舞伎にしても文楽にしても昔は庶民の娯楽でした。芸が芸能になり芸術になってしまうともはや文化の領域で自分とは関係ない世界のものと思ってしまったら人生の楽しみは半減します。 このコラムは観客歴40年以上という篠原安心院(しのはらあじむ)さんが、独自の視点で作品を楽しむポイントや役者の話、作品の背景からチケットの買い方、劇場の席を選ぶ方法などがわかる古典芸能をすんなり楽しむためのポイントを優しく親切に教えてくれるコラムです。 安心院さんの厳しくかつ軽妙な文章を読めば、いつしかあなたも古典芸能通になれます。お楽しみに!
2008 年 10 月 のアーカイブ

Vol.87 古典音楽 「絶対音楽」

2008年10月30日(木)

 又、なにやら小難しそうな題にやや驚かれるかも知れません。でもこの言葉も、時折チラシ等に出て参りますので、何、そんなに驚いた話では無いのだと、これ等のチラシをご覧になる際の、免疫的な役割でも在るかと思い、基礎的なお話をして見ます。

 西欧の文明は、物事を先ずは二つに分けて、その分けた類型に事象を分類し、比較分析する処から、例えば認識の作業が始まる様に考えられます。“肉体”と“精神”とか“神”と“人間”等ですね。この二元論的なアプローチが、彼らは好きで且つ安心・納得出来る方法論なのでしょう、何処へでも持ち出したがります。そうです、音楽に関してもそうなのです。
 音楽に関しての二元論的な分類の仕方は、一つが本日の「絶対音楽」でして、今一つが次にお話をする「標題音楽」な訳です。

 「絶対音楽」とは、小型の辞典に拠れば「歌詞を持たない音楽の中で、文学的な何ものかを持たない音楽」と定義されています。そして続けて、古典派音楽の器楽曲にはこの種類の音楽が多い、とあります。と言う事は、文学的な何ものかが言わば「標題」な訳で、これの在る無しが、例の二元論の分かれ目なのだと気付きます。池辺晋一郎氏はNHKの番組で「音楽の音楽に拠る音楽の為の音楽」と言われましたが、そうも言えると思います。
 モーツアルトの交響曲には「パリ」「リンツ」「プラハ」等の地名や「ハフナー」等の人名が付いた曲が在りますが、これは初演の地や依頼者の名前であり、言わば渾名と言うべきでしょう。曲の内容は、これ等の題名の持つ内容を“文学的”に語る何ものかを持って居る訳では全く在りません。ドボルザークの交響曲の第八番は、この二十年位に亘り幾つか“渾名”を献呈しようとする動きがある様ですが、どうも定着していません。つまり、曲に固有の名称があるから標題音楽であるとは、てんで言い切れないのです。

 “文学的”な何ものかを持たない音楽は、では何を持っているのでしょうか。辞書的には「音楽の構成美、和音の論理的な展開、メロディーの持つエネルギーとその複雑な展開時に置ける美しさ」等を、言わば純粋音楽的に追求した楽曲、となります。こんな無味乾燥な言葉で言われても音楽の魅力がそれだけ増す訳でも何でもありません。また、演奏の方もここに言われた様な、音楽学理論的な(つまり全く楽譜通りの)演奏をする訳でもありませんし、そんな演奏を聴いても少しも楽しく無いでしょう。絶対音楽と呼ばれる種類の曲を演奏する側は、その曲の楽譜から如何なる音楽の形に仕上げて観客に届けるかを工夫するのでしょう。聞く我々も、物理原理に沿って出て来る音を、数理論的な美しさを求めて聞いて居る訳では絶対に在りません。演奏家の思い入れとは丸で違ったものかも知れませんが、聞く方一人一人が、夫々の思いの中で受け止めて居るのです。

 そんなややこしい話よりも、多分絶対音楽の極致と言えると思われるモーツアルトの晩年の作品である、ハイドン・セットと呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲をお聞き下さい。音楽が作れる、しかも音楽しか作れない、誠に美しいものに抱かれて、何とも幸福な気持ちになって来るでしょう。音楽が遂にここに至った後は、何処に行く必要があろうかとさえ思えて来ます。そうなのです、同じ事に多分ベートーヴェンが悩んだ筈です。彼は、古典派から次の時代のロマン派に橋を掛けた存在と言われます。そしてロマン派の時代こそは、音楽に言葉が入り込む過程の時代なのです。

 小林秀雄は「モオツアルト」の中で、表現はやや違いますが、大略以下の如き指摘をしています。「彼(モーツアルト)の死に続くロマン主義の時代は、音楽とは音で成り立っていると言う、少なくとも音楽家に取っては自明な筈の事柄が見る見る曖昧になって行く時代なのである」

 こうやって西欧得意の二元論的な整理をした結果、絶対音楽に分類される大変に豊かな宝物の山を受け継いで居るのは、何と幸せな事であるかと、時々考えます。

posted by 篠原安心院 at 01:00PM
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Vol.86 古典音楽 「弦楽四重奏曲」

2008年10月23日(木)

 暫く前のVol.70で、一度このテーマを取り上げて居ます。その時の取り上げ方と言うか、取り上げた理由は、「弦楽四重奏と言うと、頭から小難しい曲とお考えの方もおありとは思いますが、実はこんなに伸び伸びと楽しい曲もありますので、是非毛嫌いなさらずに、機会があればお聞き下さい」と言う事でした。この処、ソナタ形式から始まって、楽曲の形式や構成に関しての記述を続けて参りまして、今回はその様な観点から今一度弦楽四重奏を取り上げてみようと思うのです。


 弦楽四重奏は、ヴァイオリンが2本、ヴィオラ・チェロが一本ずつの、弦楽器四つに依って成り立って居ります。ピアノとヴァイオリンとかフルートとチェロ等の組み合わせですと、作り方に依っては大変に魅力的な曲が出来る事は在りますが、楽器の種類が異なる組み合わせとなりますので、作曲家も演奏家も又観客も、質の異なった音の重なりに注意を払う事になります。一つ間違えると、音同志が上手くブレンドしない演奏になったりします。
 その点、弦楽四重奏は大いに異なります。元々同族の楽器ですから、出す音にある種の共通のものが在ります。ブレンドはし易い組み合わせな訳です。楽器が都合四つ、一つの楽器が二つの音を出せば(ヴァイオリンの項で申し上げた重音です)、合計で一度に八つの音を出す事が物理的には可能です。こうなりますと、とても複雑な和音でも十分に出せますし、その結果としての和音の混ざり具合は大変に良い訳です。こうした特徴を持つ弦楽四重奏は、バロック時代に流行りました弦楽合奏(10名から14名位の構成となります)を、よりコンパクトにし且つ上質な演奏者を集める事を前提とした、内容も演奏難易度も高い曲が、古典派の父であるハイドンに依って試みられ、モーツアルトを経てベートーヴェンに引き継がれる中で、発展充実して行ったのです。この弦楽四重奏を前提としたソナタを「弦楽四重奏曲」と通例呼びます。


 弦楽四重奏曲も、多くの場合四楽章より出来上がって居ます。その内の第一楽章が「ソナタ形式」で書かれる事が普通なのは、他のソナタと異なりません。第二楽章は、ゆっくりした楽章になり、第三楽章は舞曲(始めはメヌエット後にはスケルツォ)、第四楽章が又早い楽章でソナタ形式で書かれたものもあります、こんな構成になって居ります。


 ハイドンは80曲に上るこの種の曲を残したようですが(曲数は学者によりややマチマチです)、17番の「セレナーデ」と64番の「ひばり」に関しては既にご紹介済みです。モーツアルトは、23曲の四重奏曲を残して居ます。特に晩年ハイドンに献呈され「ハイドン・セット」なる名前で呼ばれる6曲は、本当に名曲揃いでして、聞きながら“音楽はこの曲で発展を止めても良い”とさえ思う事もあります。ベートーヴェンは16曲残して居ります。彼は、ピアノ・ソナタをやや実験的に書いたとも言われますが、この四重奏曲は、交響曲や協奏曲等の大曲の下準備として、曲の構成や主題の力・その展開のダイナミズム、そんなものを念頭に置いて書いたと言う評論家も居ります。こういう風な思考実験的な作曲の場としては、弦楽四重奏は正に格好な形態なのかも知れません。それが為にか、彼の四重奏はやや取っ付き難い印象を、特に聞き慣れない内は、持たされ勝ちです。


 この古典派の三人の後の作曲家は、誰もがこの三人の重圧に苦しめられます。時にプロの目から見た名曲が揃って居ります弦楽四重奏の分野はなお更なのです。そんな中で、シューベルトが15曲を、ドボルザークが14曲を残して居ります。二人共、自由に且つ実に豊富に綺麗なメロディーが次々に湧いた作曲家でありまして、その豊富なメロディーの中から、四重奏向きのものを拾い出しては作曲したのでは無いかと思わせる程、二人の弦楽四重奏曲は綺麗な曲想に満ち溢れて居ます。近代になると、ベルトークが6曲、ショスタコーヴィチが15曲を残して呉れて居ます。


 管弦楽(例えば交響曲)を弦楽四重奏に編曲したり、その逆に弦楽四重奏の為の曲を管弦楽用に編曲したりしたものに出会う事があります。弦楽四重奏はたった四人で演奏する全音楽宇宙であるとも言われる所以がここに在ります。そして上手な演奏に出会いますと、正にそんな感じに囚われるものなのです。

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Vol.85 古典音楽 「独奏楽器のソナタ」

2008年10月16日(木)

 之まで何回か、音楽会の案内やチラシに説明も無く出て来る業界用語の一つである「ソナタ」と「ソナタ形式」に付いて、見て来ました。ソナタとあれば、これは古くから使われた言葉で、どうやら器楽に依って演奏される曲の事をさして居るらしい(つまり教会音楽等に不可欠な人の声の部分を持たない、純粋器楽曲であるらしい)事が、お分かり頂けたかと思います。
 古典派の時代に入り、一つの楽章の構成を、大きく且印象的に組み上げる基本の文法として「ソナタ形式」が作り出され、ソナタと呼ばれる曲の最初の楽章はこの形式で作られる事が約束となって来た訳です。この最初に「ソナタ形式」を持つ、管弦楽の「ソナタ」が、交響曲であり、独奏楽器の名人芸をも聞かせる目論見で作られたのが「協奏曲」であったのです。

 今回は、独奏楽器の為の「ソナタ」を見て見ましょう。楽器が一つ(乃至伴奏楽器としてのピアノを伴い二つ)で演奏される形式ですから、可能性としては楽器の種類の数だけの「何々ソナタ」が可能ですし、実際にもいろんな種類の独奏ソナタがあります。ここでは、その代表的な(と言う事は、他の独奏楽器の為のソナタに比べて遥かに数多く書かれている)、ピアノ・ソナタとヴァイオリン・ソナタをざっと見てみます。

 先ず、ピアノ・ソナタです。これは、18世紀を通じて行われたこの楽器の改良の歴史と共に発展した曲なのです。オーストリーのザルツブルグに行きますと、モーツアルトが生まれた家や住んでいた家等が残されており、中にピアノが置いて在ります。解説に依れば、彼の時代の楽器である等が書かれておりまして、運が良ければ係官が少し弾いて見せて呉れます。この音は、今僕たちが聞くピアノの音とは大変に違う、古めかしい音が聞こえて来ます。ベートヴェンの後半生になると、遥かに今の楽器の音に近いものが出現します。曲の内容や芸術性・好き嫌いは兎も角、演奏表現の多様さでは、ベートーヴェンの曲の方が複雑に出来ているのは、この楽器の発展段階の差が大きいかなと思います。

 ピアノの独奏のためのソナタで、古典派以降の曲は、第一楽章がソナタ形式で作られて居る、他に2~3の楽章を持つ事等は、交響曲に準じます。ピアノ独奏のソナタは、バロック時代にも書かれており、スカルラッティーは500曲以上残したと言われます。これは、当然の事乍ら「ソナタ形式」に依る楽章は在りません。古典派のハイドンが50曲以上を、モーツアルトが18曲を、ベートーヴェンは32曲を、夫々残しております。モーツアルトには“珠玉の”と言う形容詞が似合う曲が幾つも在ります。ベートーヴェンは、音楽の上での新工夫や新しい試みを先ずピアノ・ソナタの形でした形跡があり、少し理屈っぽいのもあれば、情熱の赴くままに作ったと思われる激しい曲もありで、上手な演奏にぶつかると嵌ってしまいます。
 ロマン派以降の作曲家は、こんな形式に縛られない自由な形を模索する人が多く、シューベルト(21曲)を除くと、2~3曲ずつしか書いて居なさそうです。このシューベルトの曲にも大変に魅力的な曲がいくつもあり、興味は尽きません。音の響きの良い、やや小さめのホールで、これらのピアノ・ソナタに耳を傾けるのは、在る意味で大変に贅沢な趣味と言えるでしょう。

 ヴァイオリン・ソナタは、独奏楽器がヴァイオリンで伴奏にピアノが入るソナタであるのは、ご推察の通りです。ですから、古典派以降の曲の第一楽章は「ソナタ形式」で書かれて居るケースが多いのです。でも、このヴァイオリン・ソナタに関しては、バロック最後期のバッハが名曲を残しており、この紹介から始めましょう。バッハは無伴奏のヴァイオリン用(つまり伴奏ピアノを伴わない)曲を6曲書いており、3曲がソナタ・残る3曲がパルティータと呼ばれます。いずれも名曲で、静かに聴いておりますとしみじみと落ち着いて来ます。モーツアルトは史実に依れば45曲のこの種の曲を残したと伝えられます。でも、若い頃の曲は、ヴァイオリンの助奏付きのピアノ・ソナタと言った印象で、ヴァイオリンが主役を演ずるのは最後の十数曲と思われます。モーツアルトの“短調”と言われます、その短調のVソナタは実に良い曲ですし、晩年の曲はどれも素敵に出来ています。ベートーヴェンは10曲残しています。9番は「クロイツェル」と呼ばれますが、この曲に反応したトルストイが同名の小説を書いています。小説と曲と、両方確かめて見ると、いろいろな考えが頭の中を走ります。

 これら独奏楽器の為の演奏会をリサイタルを呼びます。演奏者の紡ぎだす音と一人で対峙しながら、作曲家と或いは演奏家と或いは音そのものと対話をするのは、音楽好きの大切な時間なのです。是非、試して見て下さい。

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Vol.84 古典音楽 「協奏曲」

2008年10月9日(木)

 ここ迄来ますと、お読みの方々は今回は何がテーマであるか、題名からだけでお分かりの事と思います。そうなのです、管弦楽に依るソナタの内、独奏楽器を持つものを「協奏曲」と言うのです。

 何時の世にも名人上手と言われる人が、種々の場所で出てくるものですが、クラシック音楽の世界でも、バロック時代と呼ばれる頃から、歴史に名を残す楽器演奏の名人が徐々に出て来た様です。そこで彼らの名人芸に焦点を合わせた曲が作られるようになります。イタリーのコレルリやビバルディー、ドイツのバッハ等が今に残る名曲を沢山書いて、協奏曲と言う名を付けて居ます。
時代は進んで種々の楽曲の古典的な性格付けがなされる18世紀後半には、各種の楽器の改良も目覚しく進みますが、これに合わせる様に各楽器の演奏家にも名人上手が生まれます。中には一人で幾つもの楽器に堪能な演奏家も出てきますし、その演奏家が作曲もすると言うケースも出てきます。
「定期演奏会」の処で申しました通り、例えばモーツアルトがその典型なのです。彼は、ヴァイオリンも上手かった様ですしピアノの演奏は飛び抜けていた様です。彼は、ヴァイオリン協奏曲を5曲残していますが、どれも自分で初演したものと思われますし、ヴァイオリンの演奏に凝って居た比較的若い頃の作品でありまして、晩年になってのヴァイオリン協奏曲は残して居ないのです。その代わり、晩年彼が注力したのがピアノ協奏曲でありまして、27曲ある内の2/3位は晩年の作品と言って良いと思います。これは、ピアノの改良の進みと共に、ピアニストとしてのモーツアルトが彼の活躍の前面に大きく出て来た事を意味していると思われるのです。こうして考えますとモーツアルトは、今では考えも付かない万能な音楽家であったと気が付きますし、その残した曲がどれも天国的に美しい曲ばかりとなりますと、これは人類史上の奇跡としか言いようの無い人であったとさえ考えられます。

 さて、その協奏曲の楽曲としての成り立ちです。多くの場合には三楽章形式で作られて居ます。ソナタ形式の第一楽章、これはお約束通り見たいなものですね。ゆっくりした第二楽章が続き、早いテンポの第三楽章で終わりとなります。この第三楽章に又ソナタ形式が採用される事も在ります。

 そのソナタ形式の第一楽章ですが、典型的な作りを見ますと、先ずオーケストラで二つの性格の異なったメロディーを演奏します(交響曲の提示部ですね)、その後に独奏楽器(ピアノやヴァイオリン・或いは他の楽器)が、やおら入って来ます。そして、先に紹介した二つの主題(メロディー)をオーケストラの伴奏で、今度は独奏楽器が提示します。これで提示部が終わります。どうも独奏楽器が出る分長くなりますね。この後、ソロとオケとが掛け合いをしながら展開部になります、随所に名人芸が披露されます。その後、再現部になりますが、この再現部は通常やや省略した形で進みます。エピローグ(コーダと呼びます)の前でオケが止まり、独奏楽器の独演が挟まります。これをカデンツァと呼び、名人芸の集大成が展開されるのです。この独奏部が済みますと、殆んど直に楽章は終了します。

 第二楽章や第三楽章は、この独奏楽器とオーケストラの競演の形で、ゆっくりとした楽章(第二)、テンポの速い楽章(第三)と進み、全体の終局を迎えます。

 なにしろ自意識の強い名人の名人芸を披露する意味もある曲ですので、楽曲の纏まりや約束をキッチリと守りますと、長くなり勝ちなのですね。それで、全体を三楽章としたのだろうと思われます。先のモーツアルトは、例に挙げた二つの楽器以外にも、オーボエ・フルート・ファゴット・ホルン・クラリネット等多彩な楽器の為の協奏曲を残して呉れて居ます。これらは、彼の近くに居た夫々の楽器の奏者のために書かれたのでしょう。貴族の当主の素人芸の為に書いたものも在りそうです。

 後年、協奏曲は多様な発展を遂げますが、それらは名人上手が輩出した、ピアノとヴァイオリンに集中して書かれます。でも、中にはギターを独奏に使ったりサキソフォーンを使ったりと、通常のオーケストラでは使用されない楽器の為の曲も書かれています。

 いずれにしても、協奏曲は半分以上独奏者の名人芸を楽しむ曲なのです。その楽しみの取っ掛かりとして、楽曲の形式を頭に入れておくのも必要な訳で、次回協奏曲を楽しまれる機会がありましたら、そんな事も思い浮かべてお聞き下さい。

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Vol.83 幕

2008年10月2日(木)

 朝夕涼しくなってきました。つい先日まで暑い暑いといっていたのがうそのようです。過ぎてしまえば、夏は短いものです。ところで、夏休み期間中の大きな話題は、毎年の高校野球全国大会です。この時期、本邦も外国も休暇の季節で、ニュースに乏しい事もあるのか、毎年大騒ぎの報道合戦が繰り広げられます。07年も僕の出た高校は、地区大会の準決勝かなんかで負けてしまい、以って高校野球はこの年も(僕には)終ってしまったのですが、そんな事はお構いなく、TVも新聞も、実に丁寧に且大袈裟に連日ニュース(らしきもの)を流してくれます。

 ところで、甲子園大会の様な大きな集まりの始まりを告げる言葉は何故か「幕」と言う字を使う事が多いようです。「開幕する」「幕が開く」「幕が上がる」、中には「幕が切って落とされた」と言う使い方もあります。幕とあるからには劇場が係わるのであろうと思われます。

 「開幕」「幕が開く」 言葉の感じからは、幕が左右に引かれて開いて行く感じがします。歌舞伎や文楽の場合には、この左右に引いて開ける幕を“定式幕”と呼んでいます。何時ものあの幕と言った語感の言葉です。この定式幕の色の数は三色で、黒・柿(茶色)・萌黄(緑)であります。物の本に依ると、左からこの順で並べた幕が江戸歌舞伎・森田座のもので、今は歌舞伎座がこれを使っています。黒・萌黄・柿の順が市村座のもので国立劇場はこの定式幕です。中村座は萌黄の変わりに白を使った幕であったようです。開け方は通例歌舞伎では下手から上手に向かって引かれて開きますが、文楽ではこの逆です。文楽に行って最初にあれっと思う点です。

 「幕が上がる」当然に緞帳でしょう。舞台面一杯に広がった綴れ織等の豪華な緞帳は、幕間に一つ一つ紹介されたりしますが、中には一枚1トンを超えるものもあるとか。歌舞伎の場合、緞帳で開け閉めするのは多くなく、舞踊劇や新歌舞伎等に限られて居そうです。言葉の字と音からは、豪華で重々しい幕を想像しがちですが、実はペラペラの描き幕でも上下に開け閉めするのは全て緞帳と呼ぶそうです。江戸期、引き幕の使用を禁止された小芝居や地方の小屋は全て緞帳を使ったとの事。これらの劇場での芝居を“緞帳芝居”、演技をしていた格落ちの役者のことを“緞帳役者”と呼んだそうですが、今では意味を取り違えそうです。

 「幕が切って落とされた」 中で、使っている人も聞いている人も実物をご存知なのかなと、一番疑問に思うのがこの表現です。緞帳も引き幕も、使い方に種々変化は在っても、新劇でもオペラでも使われているが、この「切って落とす」幕は、歌舞伎独特のものではないかしら。定式幕が引かれて「開幕」しても、その後ろにもう一枚空色の幕が垂れ下がっている事があり、この幕の事を“浅黄幕”と呼び、この浅黄は中々重要な色なのであります。(六段目で切腹する勘平の着ている色で、舞台装置の後ろにこの幕が掛かっていると、野外若しくは昼を意味する)

 この幕の前で、端場が演じられ演目の背景等が語られるのですが、この間に舞台背景を見せてしまうと、肝心の芝居が始まった時には、目が背景に既に飽きてしまう、そんな事を慮っての工夫でしょう。チョンと入る柝を切っ掛けに、幕全体が振り落とされて背景が一瞬にして浮かび上がり、さして間を置かずに肝心の芝居が始まる、そんな風に使われるのであります。

 例えば白浪五人男の勢揃いの場は、この浅黄幕の前に取り方達が数人出てきて、五人男を追い詰めて来たとの会話があり、小さくチョンと小さく入る柝と共に幕が切って落とされ、桜の満開な稲瀬川の土手の風景が現れ、ここで夫々が名乗りを挙げる手順となって居ます。

 さて、この様な幕の使い方を高校野球に擬えて見れば、地方予選と言う長々しい端場が終わり、選手や観客の目から“浅黄色”の薄い幕で隠されて居た甲子園が、この浅黄幕を切って落とす事を以って、突然に現実のものとして全員の目に鮮やかに入って来る、そんな意味なのでしょう。だから使い方としては実は十分に理のある使い方なのですが、この言い方を使う方々は、実際の舞台で「幕が切って落とされる」時の驚きや興奮をご存知なのかなと、時々思う次第です。

posted by 篠原安心院 at 01:00PM
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