このように義太夫節も三味線も時代と共に変容しますが、三味線が決して変わらない点もあります。
それは、物語の“心を弾く”とでも言うべき点です。
太夫の語りも、音楽性(綺麗な声や折り目正しいリズム等)よりは、物語の内容の表現に力を注ぐのと好一対をなしています。つまり三味線もまた曲の心をこめて太夫の語りを助けるように弾きます。鮮やかな撥捌きで派手な手を使って且つ美しい音色の三味線を弾いても、浄瑠璃の心から離れたと思われる様な演奏ではいけないのです。同じツンという一つの音でも、喜びの時に入れる音と悲しみの折に響かせる音では、全く違って聞こえなければいけないのです。そんな点に焦点を置いたエピソードを幾つかご紹介しましょう。
16世紀の中頃に三弦が中国から沖縄経由にて我が国に齎され、新しい音曲の世界が始まったとは、既に書いた事であります。
この三弦は、我が国に於いて新しい発展を遂げます。一つは材質の工夫でして、元々蛇(錦蛇の様に大きな蛇)の皮を張って作りあげてありましたが、我が国に於いてはこの様な大きな蛇が存在しない事から、他の物で代替を考えます。その結果行き着いたのが猫で在りまして、三弦(乃至三線)の事を蛇皮線と呼ぶこともありますが、その伝で行くと猫皮線とでもなりましょうか。この他、稽古用等には犬の皮を張ったものもあるようです。この猫の皮は消耗材のようでして、張り方も難しい上にきっちりと張るとパンと弾ける危険性も増す、誠に厄介な材質のようです。
文楽に於いては演技者が大きく分けて三種類必要となります。
先ず義太夫節を語る太夫達、次がこの太夫の語りを支える三味線方、そして舞台上で人形を遣い演技を展開する人形方、以上の三種でしてこれを三業と呼びます。
中で一番格式が高いと思われて居るのが太夫です。この事は、昭和38年に文楽協会が発足する直前迄、文楽一座には櫓下(紋下とも)と呼ばれる一座を代表する人が居り、太夫は必ず選ばれて居りました。この櫓下は、太夫一人の事が多かったのですが、時には三味線方と二人、或いは極々稀に三業の代表が一人ずつ選ばれて三人櫓下の時も在った様ですが、太夫が抜けた事は無かったらしく、そんな処にも太夫の格の高さが伺えます。(因みに最後の櫓下は近代の名人と謳われた豊竹山城少掾でした。)