今回は純粋の歌舞伎劇でそれも新しい“新歌舞伎”の演目のご紹介を致しましょう。「ぢいさんばあさん」の原作者は森鴎外でして、活字の大きい文庫本でも10ページ位の短い小説です。これを、戦後の昭和26年に宇野信夫が脚色し、同じ年の7月に、歌舞伎座(二代目猿之助・三代目時蔵)と大阪歌舞伎座(十三代目仁左衛門・二代目鴈治郎)で、東西同時に初演となった珍しい記録が残って居ります。以後度々上演され人気の演目の一つになって居ります。先ずは、その粗筋から見て見ましょう。
一幕目。江戸城大番役を務める美濃部伊織の新婚の小さな離れ屋敷。庭の一角に櫻の若木が在って今を盛りと花を付け、チラチラと花びらを降らせて居ます。伊織は役目柄の京都詰めに明日出発予定、新婚の妻のるんは生まれて三ヶ月の男の子を腕の中に抱いて、別れを惜しみます。伊織はるんの頬の蚊を追ったり、るんは、鼻を手で触る伊織の癖をたしなめたり、何とも仲の良い二人の些細な仕種が重なって、時間が流れますが、伊織の「何、来年この櫻が満開になる頃には又三人で花見が出来よう」との言葉で幕となります。
二幕目。伊織は京都で仕事を続ける内に、良い刀を見つけ欲しくなります。持ち合わせの金が足らず、同僚に借りて刀を手に入れます。ある夕べ、伊織は月見の宴を催し仲の良い仲間を呼び席上手に入れた刀を披露します。そこへ、金を借りた同僚が酔って闖入して来ます。金を借りた相手を呼ばずに刀の披露とは何だと乱暴狼藉、挙句の果てその刀を貶して「こんな刀で人が切れるか」と叫びます。伊織が思わず切りつけ事件となります。
この後、切られた男はそれが元で死にます。伊織は取り調べの後、越前の有馬家へお預けの身となります。るんは、暫くの後に折角の男の子を流行り病で亡くし、黒田家の江戸屋敷に奥女中として働き始めます。時は移って37年後、るんは黒田家を退職しますが、ほぼ同じ時に伊織は許されて江戸へ帰って来ます。周りが気を利かせて、元の新婚時代の家に手を入れて、二人を住まわせる手筈を整えます。
三幕目。一幕目を同じ離れ屋敷、でも庭の櫻は見事な成木に育っていまして、満開の花を付けて居ます。勝手知った我が家とばかり伊織が、続いてるんが入って来ますが何しろ37年振り、最初はお互いにそれと判らない等と言う処から始まります。やっと落ち着いて夫々に身の上話を簡単に始めます。どうもるんの方が点が良く、黒田家からは年金が出ますし、表彰状やらご褒美やらを頂いたりした事が話されます。「明日から又二人の生活が始まるのだ」と言いつつ、縁先に二人が出て来まして、「明日は坊やの墓参りに行こうな」と言葉を交わし、桜の花びらが散るのを見ながら幕となります。
粗筋を書きますとこんな風になりますが、これの何処が面白いのかと不思議がられると思います。鴎外の原作も、さっと読むと何が言いたいのかな等考えますが、落ち着いて二三度読みますと、読み終わって心のどこかが暖かくなる感じが広がります。その感じを舞台で出すべく脚本家は種々の工夫を凝らします。原作を併せ読むとそれが良く判ります。ここでは二点ご紹介して置きましょう。
先ず、庭先の櫻の木です。これで時の移りと共に、満開の桜の持つ雰囲気を使う事が出来るのです。もう一つは、伊織の癖である情感がふと高まると思わず自分の鼻を手で触る仕種です。これが上手く使われて居ます。三幕目、お互いにそれと判らないのですが、伊織が庭の櫻を見上げて思わず鼻に触って、るんが先に伊織だと気付くくだりとか、幕切れ「明日は墓参りに行こう」と言って、伊織が手を鼻先に持って行きます。舞台では此処で柝の頭が打たれます。るんがさり気なくその手を押えて、二人で顔を見合わせ静かに微笑み合い幕となるのです。何と無く目頭が熱くなる幕切れなのです。