今回のテーマは、「名優何某の残した名画の中から“さわり”の場面を集めて見ましょう」等の折に使われる“さわり”に付いてです。
先ず辞書を見てみますと、最初に「何かにふれる事、若しくはふれて居る感じ」と言う意味が出て来ます。この使い方の例が「肌ざわり」とか「手ざわり」等の表現に繋がる事は、直ぐに推測が付くことでしょう。
次に浄瑠璃での使い方で、他の音曲の音節を取り入れた箇所と出て来ます。浄瑠璃節は、先行の多くの語り物系の音曲を言わば総合する形で出来上がった経緯が在ります。この時の先行の芸能は、例えば平曲であったり説教節であったりした訳です。この習慣、つまり良いものであれば積極的に他の音曲の音や節を取り入れる作曲の方法は、以後も長く続きます。ですから、新しい本に新たに作曲(曲付け)をする時は、その折に流行っている歌謡や民謡等の音節を借用に及ぶ事が良くあるのです。この時、浄瑠璃はその節回しに於いて他の音曲に“触って居る感じ”になり、こう言う部分の事を“サワリ”と呼ぶようになります。そして、こう言う風に節回しに最大の精力を集中して曲付けを行う箇所は、言わば聞かせ処な訳で、女性の登場人物に依る“口説き(くどき)の部分等に良く現れます。ですから、浄瑠璃におけるサワリの部分とは、他の音曲から節を借りてまで練り上げた聞かせ処、語り処になるのです。この意味が、一般化した使い方が、本欄書き出しの“さわり”になるのです。
「君の話は長い、さわりの部分だけ」等言う上役は、果たして言葉の元々の言われをご存知なのかな等、不逞な事を考えたりします。
さて、浄瑠璃にはもう一つ重要な“さわり”が在ります。やや技術的な話になりますが、それは三味線の構造から来るものなのです。
太棹三味線の、棹の先、つまり糸巻きに近い処を良く見ますと、棹の始まりの部分に面白い工夫が施されて居る事に気が付きます。先ず糸巻きの直ぐ近くに金属製の駒が噛んで居ます。この駒の事を上駒(かみこま)と呼び、別名を「触り金」と言われて居ます。この駒から胴の上の駒迄が各糸の鳴る基本の長さになるのです。でも、良く見ますと、この上駒は、三本の糸の内、二本しか乗せて居ません。一番太い一の糸は、外れて居ます。さて、その上駒の直ぐ近くに金属性の部品があり、これが中ほどでやや盛り上って居ます。この金属の部品をサワリと呼び、盛り上がりをサワリの山と呼びます。さて、一の糸は、上駒に乗っておらず他の二本と比べると微妙に糸の位置が低いのです。ですから、一の糸は、開放弦で弾きますと、サワリの山に触れたりします。この時に、複雑な音を出して、言わば音がうなって聞えたりします。この技法もサワリと呼ばれます。このサワリの音は、コントロールが可能です。それは、胴の上の駒を替えて駒の高さを変える事に依り、サワリを強く出す様にしたり、逆にサワリの音をさせなくしたりするのです。こうする事で、三味線の出す音の表情を変え、その場に相応しい音で大夫の語りを支えるのです。ですから、段の途中で三味線方が駒を替える事は珍しくありません。この欄でもご紹介した「三十三間堂」でも「近頃河原達引」でも、くどきの場が終って、段切れ近くになると、三味線方は駒を替え、派手な音作りの出来る様にして、木遣音頭の場や猿回しの場を盛上げて行くのです。
最後に胡弓に付いて一言。構造的に三味線と全く同じ胡弓は、このサワリの構造も持っています。ですから、胡弓の音は、どこか複雑で哀愁に満ちた音を出します。見てくれが同じである中国系の二胡はサワリを持っていません。ですから、出て来る音は極めてピュアーな音になります。現代の日本人には、この純粋な二胡の音を好む人が多そうですね。
次回文楽を楽しまれる折には、三味線方が何時駒を替えるかな等も、少し注意してご覧になって下さい。