少し異なった話題ですが、文楽や歌舞伎の世界の楽屋裏で出る話の様なので、別の意図で書いた文章ですが、ここに収めます。
旧約聖書「出エジプト記」にこんな事が書いてあります。「あなたは、仔山羊をその母山羊の乳で煮てはならない」。この禁忌(タブー)の一節は、本来的に牧畜とは無関係で、家畜を処理して食材として使用する慣習の無い我々日本人でも、情緒的に肯定できる規則に見えます。「この山羊のクリーム煮は、仔山羊の肉を母親から搾ったミルクで煮てあるので、特に美味しいですよ」と言われたら、果たして僕は箸が付けられるだろうか。願い下げにして欲しくなるだろうと思う。処で、ユダヤの世界では、この禁忌が拡大解釈の一途を辿っているらしく、今や、肉類とミルクを原材料とする酪農製品とを、一緒に食べてはならないと迄なって居るとか。つまり、朝食にハムやベーコンのお料理と牛乳やチーズ、カフェ・ラテ等は、一緒には食べられないと言う事になります。もっと言えば、ホテルやレストランはおろか一般の家庭でも、調理器具やガスレンジ等が、お肉用とミルク系用の二種に分けられ、厳密に使い分けられて居ると言われます。選民である事を守るのは大変な事だと思いながら、これを我が社会では、「別火(べっか)」と言うなとも思ったものです。
その我が国の“別火”は、神道の伝統の中で育ったものなのだと思われますが、どう言う形で残って居るかと言えば、例えば能や歌舞伎で翁を舞う人は、何日か前から、別火・物忌みの精進潔斎を守ると言う形の様なのです。この状態(つまり別火・物忌みを守る事による精進潔斎)を、端的に一言で“別火”と呼んで居るとの事です。つまり、使う火を別ける(通例の用に足す火と神聖な火とを別け、清い方の火を使ったもののみ口にする)のが基本の一つなのであろうと推測されます。文楽でも、翁と共に、手習鑑の菅丞相を遣う人形遣いが、別火を特に慎重に守ると言われています。何しろ相手は天神様ですから失礼があったら、罰が当たると言う事なのでしょう。処で、昔の名人達の芸談を読んで居るとこの別火が時々出て来ます。この場合は、物忌みの中の特に女性との関係が主題の様です。と言うのは、女性と事のあった翌日の床(ゆか)では、大夫にせよ三味線方にせよ、それが声や音に如実に出るものなのだそうなのです。巡業先で(と言う事は家庭を離れた時に)、一段語り終えた大夫に先輩や師匠が、「昨夜のお相手はどんな方でしたか」等、一見柔かい言葉付きとは裏腹な怖い顔付で、冷やかす見たいな話になります。本当に怖いのは、それがドンピシャで当たって居る事で、これが度重なると「貴様ら公演中は別火を守れ」と怒鳴られるのだそうです。だから、若い大夫や三味線方は、朝、楽屋入りの挨拶の時に、先輩や師匠に「昨夜は私別火を守りました」と聞きもしない報告をする輩が出て来るらしい。つまり昨夜は何も有りませんでしたと言う事を伝え、何とか難しい人達の機嫌を取って置こうとの魂胆からの発言な訳です。この時の、若い人の言う事を「おべっか」と呼び、媚び諂いの言葉と心得るし、世上使われる「おべっか」の語源はここにあるのだと続きます、はてさて、これは本当なのかしら。
ユダヤの世界では、以後も解釈の拡大は続いる様で、最近に至り「卵と鶏肉を一緒に食べては駄目」となったとか。親子丼が駄目となると、お気に入りの店の二つ三つ有る身としては、やや困惑します。その内、子持ちカレイは駄目、鮭とイクラの北海丼も駄目、鱈チリに白子を入れるのはもってのほかと来そうです。ユダヤ人で無くて本当に良かったと思います
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おべっかの方は、業界の泰斗の書物に出ていましたので、一概に眉唾とは言いませんが、話として、どうも上手く乗せられた様な気もします。それより、語源も定かならぬままこの言葉が死語になりそうで、こちらの方も気にかかる処であります。
さて、次回からは、お待ちかねの、個別の演目を個別に取り上げて、少し丁寧に解説を加える事に致します。