親達が、若い二人とは無関係な事情で敵(かたき)同士であるので、折角の二人の恋が実らないと言う話は、多分どの文化圏にもある話なのでしょう。中で最も知られて居るのが、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」だと思います。あの戯曲を読みますと、ジュリエットの台詞が今一つピンと来ません。何だか決まり切った事を定型的に喋って居る風にも読めます。これは、シェークスピアの時代には、女優を舞台に上げる事が禁じられて居まして、女性の諸役は、変声期前の少年が受け持って居たらしいのですね。それで、型通りの台詞になり勝ちであったと何処かに書いて在ります。我が国の歌舞伎でも、女性が舞台に上がる事を禁じられ、少年が演技者となりますが直ぐにこれも駄目になり、今に続く女形の芸になります。処で文楽の方は、首(かしら)が女性となり着付けも整えますが、遣うのは男性でも、元々違和感は在りません。そんな事を考えながら、我が国の敵同士の恋の話に見入るのです。
「妹背山」の雛鳥と久我之助の恋が、このロミオとジュリエットに良く似た構図の中で展開されて行きます。親同士が敵の関係にあるのです。でも、この話では、もっと悪者の蘇我入鹿が出てきまして、二人の恋を直接的に邪魔します。親達は、二人の真情を汲んで、二人を自害させ、死んで一緒にさせるのです。舞台の真ん中に吉野川が流れ、上手と下手に屋台の部屋を作り、夫々の部屋で悲劇が進行すると言う、印象的な場面となって居ます。
「鎌倉三代記」では、時姫の恋人で許婚の三浦之助が、時姫の父と敵対関係になって仕舞います。三浦之助は「一緒になりたくば、父親を殺せ」と迫ります。時姫は、孝より愛とばかり、親父さんを討つ決心をします。凄いですね。一方の三浦之助は、時姫にけし掛けるばかりで、自分で進んで敵を討つのでは無いのが、歯がゆく感じられますけど。
「本朝二十四孝」の八重垣姫は、許婚と敵同士となった自分の親父が、その許婚を殺そうとするのを、何とか防いで、問題の兜を届けようとします。この兜は元々許婚の家の家宝であり、戦に神秘的な力を発揮する珍品で、八重垣姫の父が借りて返さないので、戦に縺れ込んだのです。ここでも、敵同士の中で、孝よりは愛に殉じようとする気持ちが、芝居の基本的な筋になっています。兜の神通力で、狐が出てきて助ける大変に印象的な展開に繋がります。
こう言う難しい構図の劇を見てますと、最後に感じられるのは、原作者の人間に対する暖かい眼差しです。これが感じられて、悲劇が一層重く迫って来るのでしょう。